アラスカのいくら
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Ichimaru | 2004.07.02 | 十年前に現役を引退して、自分の好きな事をやって過ごしてます.。 元来は貿易をやってまして、損したり儲けたりしているうちに、段々と水産関係に手を染めるようになりました。 アラスカから、鮭の卵とカズノココンブを、1962年に始めて日本に輸入し、4年程イクラを作ってました。 当時はアメリカで作ったので、「ベイコ」の別名をつけられ、価格でも差別されました。 1971年に、ニクソンショックにて為替が360円から300円に一挙に下げられて大損してから、日本への輸入ガ有利だと考えて、当時San Franciscoに居て、密に「雲丹」を採って食べていたので、日本に送ったら好評で、其れから「雲丹」「鮑」を日本に毎日送るようになり、水産を主とした貿易に代わりました。 僅か一月の間に、私の工場のあったSanta Barbaraに、4軒の日本の業者が工場を作り、原貝の価格が十倍になりました。 形が大きかったので「ジャンボ』と言うニックネームがつきました。 其れから次々に日本の業者が現れては消えして、兎に角ブームになりました。 第一線は、ウソとハッタリと駆け引きに明け暮れの生活に嫌気がさして、1975−78年まで取引の銀行から依頼されて MaleysiaのBoruneoで鉱山の整理をしたのち,叉 Cariforniaの「雲丹Business」に復帰しましたが,私が休止前の価格よりも更に高騰していました。 私は、「雲丹」は世界中何処にでも居る事は判っていたので、Amerikaの東海岸Maine州に移って、同地の「雲丹」を開発しました。 Bostonから飛行機に積みますので、業界では東海岸、Canadaからの物を「ボストン」と言ってます。 4年ほどは静かでしたが、1985年頃から日本の業者が現れたと言う情報が聞かれ始めてから、アット言う間もなくCalifornia の二の舞いでした。 原貝の価格は、私が最初に始めた頃は1ポンドが僅か5セントだったのが、私が辞める頃はポンド当たり$2.50でした。 自由競争だと言っても、あまりにも日本人は、無駄な出鱈目な金を使い過ぎると思います。 引退後はPhlippineのコハンコ財閥のやっている真珠の養殖場にて、バイオを使って大型の真珠養殖の実験をやりましたが、フランス人の社長が途中から変節して実験データーを出さなくなって頓挫したり、この実験を鮑にてやって途中で盗まれたり、碌なことがありませんでした。 その他、カブト蟹の血液から癌やエイズの薬を開発研究する会社への供給の為IndonesiaやPrilippineなどを探し回ったりしてました。 水産関係は、結構、魚介類ばかりでなく、色々とある物だと思ってます。 先月、十日ばかり薬の原料にするために使用する「なまこ」の調査に、外国に行って来ました。海底一面「なまこ」だらけ、どれ位居るのかも判らない状態でした。 95%が水分であるので、結局乾燥して持ってこなければならないのですが、取敢えずは見本を冷凍して持ちかえりました。 目下、乾燥して後分析検査しないと判りませんが,如何になるのか楽しみにしています。同国にも「雲丹」が沢山あり、此れの開発も近く計画中です。 其の他、日本に持ってきても良い商品が数種類ありますが、この方面は私は素人ですのでFishmlの皆さんのお知恵を借りたいと思いますのでどうぞ宜しくお願いします。 |
琵琶湖オオナマズ | 2004.07.05 | > アラスカから、鮭の卵とカズノココンブを1962年に始めて日本に輸入し > 4年程イクラを作ってました。.当時はアメリカで作ったので「ベイコ」の別名をつけられ > 価格でも差別されました。 40年前から、輸入いくらはあったのですね。 今回、市丸さんのお話を聞かせて頂き、初めて知りました。 国産と輸入で、価格の差ほど味の差はないように思えるんですけどね。 まあ、これは最近の話で、昔はどうだったのでしょう? その頃、人造いくらがあったと思うのですが、どっちが安かったんでしょうね。 |
Ichimaru | 2004.07.05 | 当時の輸入は、外貨が少ないので割り当制からA.A制に切り代わり、輸入が可能になったばかりでした。 極洋から、七人の釧路からの技術者を出してもらい、5月の中旬から8月一杯まで、辺鄙な所での合宿生活でした。 最初は上がってくる鮭が゙少ないので網をあげる時間が長いので、壷抜きした卵が腐って捨てるケースが多くて、技術者に文句を言ってました。 其れで作った筋子、イクラは苦く、生臭くて食えるものではありませんでした。 見た目は全く同じなのに、技術者の豊富な経験には頭がさがりました。 筋子にするものとイクラにする物との選別においても同様で、経験と自信は大変なものです。出来上がった製品そのものは、日本の物以上であったと思いますが、種類が違うと卵の色も微妙に違ってくるので、アラスカものとわかってしまい、そのハンデイだと思います。価格も日本の価格の七掛けくらいでした。 今はその様なハンデイは無く、魚種の卵の屋によるとおもいます。 人造イクラは当時はなく、10年以上後だと思います。 |
琵琶湖オオナマズ | 2004.07.07 | 僕はアラスカに行ったことがないし、また、鮭漁のことも良くわからないので、引き続きお尋ねさせて下さい。 > 最初は上がってくる鮭ガ少ないので網をあげる時間が長いので、壷抜きした卵が > 腐って捨てるケースが多くて、技術者に文句を言ってました。 > 其れで作った筋子、イクラは苦く、生臭くて食えるものではありませんでした。 海で獲った鮭ではなくて、川にあがってきた鮭から卵を取っておられたんですか。 それで、卵質はどうだったのでしょうか。 皮が固くて、食べたら皮が口の中に残るというようなことはなかったのでしょうか? > 筋子にするものとイクラにする物との選別においても同様で、 このあたり、もう少し詳しく教えて頂けると有り難いです。 > 出来上がった製品そのものは日本の物以上であったと思いますが > 種類が違うと卵の色も微妙に違ってくるのでアラスカものとわかってしまい、 > そのハンデイだと思います。価格も日本の価格の七掛けくらいでした. 当時は、どういうところで消費されていたんでしょうか。 料理やさんやホテルなど? |
Ichimaru | 2004.07.07 | アラスカでは鮭のシーズンになると,其習性上、元の川に上って産卵します。 其れ辺其川の入り口に網を入れて鮭の遡上を待ちます。 始めの頃は鮭の数が少ないので、ある程度溜まってから網を揚げます。 その為死んだりした鮭が混じっているのです。 缶詰にするために、先ずギロチンで頭を切ります。そうすると腹側に卵が見えます。 ギロチンと腹を裂く器械の間にテーブルを入れてコンベヤーを延長して、魚体が移動する間に卵を抜く作業をします。此れを「壷抜き」と言います。 技術者はその時に、良い物と捨てる物とを選別しますが、見たところ同じで素人には全くわかりません。 はじめの頃は、捨てる卵があまりにも多いので文句を言うと,其れで作った筋子を食べさせられました。瞬間に吐き出してしまいました。其れほど強烈な味でした。 壷抜きした物を飽和塩水の中に入れ、時々攪拌しますと置換作用で塩水と卵の中の水が入れ替わり、浮いていた卵が沈みます。 そして出来上がったものの中で未熟のものが゙別けられます。これが筋子です。 イクラは、完熟したものをテニスのラケットの様に張った網の上で揉み下ろすと、袋から網を通してバラバラと粒になって落下します。此れを水切りします。 イクラの皮が口に残るのは、産卵直前の卵です。 此れも、作っていると判りますので、一緒にせず別けた方が良質の物とされます。 鮭の種類にも依ります。 当時は、全部極洋が受けて、全量極洋が東京を始め主要な市場の荷受けを通して売っていました。 この後直ぐに、日水・大洋・ニチロなどの大手が進出して来て、初年度ポンド当たり70セントだったのが、4年後には$2.50にまであがりました。 この時点で、私は日本のマーケットの相場が判らないので、恐ろしくて手を引きました。 後で聞いた話では、$5.00を超えたとのことです。 |
琵琶湖オオナマズ | 2004.07.12 | いろいろ教えて下さり、ありがとうございます。 もうちょっとだけ、お付き合い下さい。 > 鮭が混じっているのです.缶詰にするために先ずギロチンで頭を切ります. > そうすると腹側に卵が見えます。ギロチンと腹を裂く器械の間にテーブルを入 > れてコンベヤーを延長して,魚体が移動する間に卵を抜く作業をします。 卵を抜いた後の魚体はどうなるのでしょうか? > イクラは完熟したものをテニスのラケットの様に張った網の上で揉み下ろすと、 > 袋から網を通してバラバラと粒になって落下します。 このやり方は、昔も今も変わらないのでしょうね。 > 初年度ポンド当たり70セントだったのが,4年後には$2.50にまであがりました。 日本が入り込めば相場を上げてしまう、、、いつも同じなんですよね。 |
Ichimaru | 2004.07.13 | >卵を抜いた後の魚体? 四十年前の当時の設備は,魚体を垂直に上がるコンベヤーが個別に掴み上げ、腹側を回転する円形の刃によって切り裂かれ同じく回転するナイロンブラシで臓物などを水と一緒に洗浄して、次ぎのボイルの行程に送られてました. Extention Tableを入れる前は、卵は臓物と一緒に刃で切り裂かれ捨てられてました。 >イクラの作り方は昔も今も変わりないのでしょうか? 1985頃、私はメイン州のカナダの国境近くで、雲丹の開発輸入をしていましたが、近くで鮭の養殖をしていました。 缶詰工場でないので、出荷は重量別に別けて、腹を裂いて臓物を取り去って氷詰めにしてましたが、ここでも卵が捨てられていたので、其れを全部貰う約束をして、日本から二人の技術者を呼び寄せました。 その時、技術者は同じ様な木枠に強くラケットのように張った網を持って来て、アラスカの時から進歩していないと思った事がありました。 恐らく、今も画期的な変化は無いのではないかと思っています。 >日本人がガ値段を上げてしまう 全くそのとうりです。自由貿易ですから、何をやろうと文句を言う筋合いではありませんが、もう少し商品や需給のバランス等を研究してから行うべきだとおもっています。 只、利益が上がるとか、他社の取引相手を価格等を高く横取りする事なく、地道に自分たちの集荷ソースは自ら創るべきで、そうすれば競合しなく必要なだけの集荷が計画的に出来る筈です。併し、現状はそうでなく、航空会社、日本の荷受け,乙仲から積出地、数量、価格から積出者まで、全てが判ってしまい、直ぐに産地に日本の業者、ブローカーが出没し始めます。そうすると原料の価格が値上がりし始めます。 次ぎに労働者達の引き抜きが始まります。折角、手馴れてきたのが引き抜かれると生産に影響が出ますので、如何しても給料を上げて対抗せねばなりません。 こんなことの繰り返しで、結局、儲かるのは地元の漁師や労働者達で、結局は採算点きりきりまで値上がりして、自分たちの首を絞める結果になるのです。 私は、十年前にこの業界から引退しましたが、現在でも色々の相談があります。 しかし、端的に言うならば、現在の人々は極めて発想が貧弱であると思います。 自ら虎口に入って虎の子を取るリスクは絶対に負わず、飼い馴らされた虎の子を大金を払って手に入れるようなことをしています。 此れでは儲かる筈が無いし、儲けても大したものでないとおもいます。 因みに、私がメイン州で雲丹を始めた時の原貝の値段は、1ポンドあたり5セントでした。此れはあの辺の麦を計るための箱一杯が1ブッシェルで、ムール貝が其箱一杯で$2.00 でした。後で雲丹の重さを量ったら40ポンドありりましたので、ポンド5セントとなるわけです。5年くらいは静かでゆっくりと仕事が出来ました。 現在は、ポンド当たり$2.00-$2.50 と聞いてます。 このような事が、まだまだ世界中に転がっていますのに、ただ他人のやっている事だけを追いかけている。追いかけさせられている現状が、何か情け無いような気持ちで一杯です。 |