孔子のことば
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波平 | 2002.02.27 | “君子は釣りすれども網せず” これは孔子の言葉だとされていますが、“網(アミ)”じゃない、綱(ツナ)が正しい、という考えもあって、どちらかというと綱(ツナ)説が通説になりつつあるようであります。 もし、ツナが正しいとすると、それは延縄を意味することになりますが、このあたりのことについて、なにかご所見がおありならご教授くださいませんか?孔子は、どのような延縄を使ったのでしょう? |
Kiyo Kamijoh | 2002.03.30 | 長い間レスが付かないようなので 横レスながら入れさせてください.孔子様が「釣すれど綱せず」とおっしゃった「綱」のことです. この「綱」が、「延縄」か「網」かとの問題ですが、7割方「網」の誤記ではないかと思います.
興味があるようならレス下さい. |
波平 | 2002.03.30 | 実はわたし自身はツナであろうと考えています。 理由は詳しく言うと長くなりますから今は控えますが…、と、言いながらいまいち自信が無い。で、ご質問させていただいたわけです。 釣り針ですけど、当時はやはり青銅が中心だったのでは? また、形状ですけど、「し」の字型ではなく、真っ直ぐな直針だったのでは? 両端が尖った真っ直ぐな針で、丁度真中辺りに穴か何かがあって、ここに道糸が結んであったのでは? 当時延縄漁が行われていたことは間違いないようですよ。どちらにしても、さて、何魚を捕らえようとしたのでしょう?お説を披瀝してもらえませんか? ついでですが、アミにしてもツナにしても、その材質は何だったのでしょうね? 確か、漁具の専門家でいらしたですよね。 わたし、テグスのツナ・アミだったような気がするわけですよ。この点、どうお考えでしょう? |
Kiyo Kamijoh | 2002.03.31 | ア.ツナが延縄であるとの根拠を教えていただければ有り難いです. イ.直針という物もありますが、「合わせ」必要とするものではないかと思いますので、延縄用には? 延縄にはねむり型の針が使われるようになりました. ウ.対象魚ですが、これは基本的なことで内水面の魚だと思います. 主な魚は「すずき」でなまず、こい・・・等だと思います. エ.C糸はテグスだとのお説ですが、山繭を使った可能性は0ではないですが、時代考証的に無理ではないかと思います.私の@も参照ください. 以上、いかがでしょうか.ご教示をお願いします. |
波平 | 2002.03.31 | > ア.ツナが延縄であるとの根拠を教えていただければ有り難いです. 根拠と言えるかどうかそこがはっきりしないので、わたしも迷っております。が、古来いろいろな説があって、通説がツナであります。本居宣長も確かそのツナ説であったと思います。 >釣り針は、当時可成り貴重品と思われること. >日本でも海彦山彦の話のとおり、釣針(当時は青銅か骨製)は貴重品ではなかったかと思います.延>縄は結構釣針を消耗する漁法ですから、普及していなかったのでは? 貴重品だったに違いないから、消耗的延縄針ではもったいない、との説はわたしはとりません。 延縄針は消耗品ではないからです。大切に使えばエエじゃないですか。 また、釣り鈎はその材質が何であれ、相当普及していたであろうとわたしは思っております。 生活必需品だからです。 >「綱」には、綱という用例 以外に延縄を示す用例が見あたらない. >「綱」が延縄だと言っているのは、古注の孔安国(漢代の人で、孔子没後200から 棒の先に尖ったものをくっつけてヤスを作りました。 次に、棒では届かぬ遠くの魚を引っ掛け取るために、ヒモ(道糸)の先に尖った引っ掛け(釣り針)を結び付けました。 その次に、1本のヒモにたくさんの釣り針をぶらさげました。 ツナを延縄のことであろうと考えるのは、釣り人ならごく普通のことであります。 >ちなみに漢代には製鉄も行われ、鉄の釣り針の使用も考えられる 孔子は2500年前春秋末期の人であります。 「釣すれど綱(?)せず」の言葉は論語学而編に出ております。 確かに当時から鉄はあったようです。ですが一般的には青銅だったのでは、 また、直針ですけど、非常に掛かりがよいようです。合わせは別段必要ない。 むしろ飲み込ませる向こう合わせが良いと思います。 それにしても、論語には、写本がいろいろあって、書き写す過程でツナになったりアミになったりし たらしい。まことに人騒がせな話であります。 >糸はテグスだとのお説ですが、山繭を使った可能性は0ではないですが、 > 時代考証的に無理ではないかと思います.私の@も参照ください. 山繭が、孔子さん存命中は、まだ中国には居なかったなら、可能性は0でしょうね。 それに、アミにテグスはもったいないけど、ツナならあるいは使った可能性がありそうにも思われましたのでね…、テグスですけど、聖徳太子以前から、日本にも入っていた形跡があるそうですよ、 もし、ご面倒でなかったら、以下をクリックしてみてもらえませんか、 あまり大した検証ではありませんが、わたしの考えを少し整理しております。 http://homepage1.nifty.com/hamatidori/newpage8.htm |
上津@そた | 2002.03.31 | 以前、隠岐に住んでいたときに、遺跡の発掘をしている方から漁法の問い合わせが
あり、その方の発掘品を見せてもらったことがあります。 その中に、錘に使ったらしい石がずいぶんとあったことをおもいだしました。 大きさは拳大で、ちょうど相撲取りのまわしのような格好で溝が掘ってありました。 刺し網用の錘ではないかとその人は言ってましたが。 |
波平 | 2002.04.01 | お説なんて大層なものではないけれど、わたしは次のように思っております。 まず、魚種の特定は無理なんじゃないでしょうか。 次に、海の魚は、孔子さんの念頭にはなかったのじゃないかな。 「…釣すれども…せず」の“釣り”ですけど、今で言う遊漁のことか否か、きっと遊漁じゃないでしょうね、 食う分だけ釣ったら良しとしよう、とこういうことじゃないかな。 要するに自分が食うためか、あるいはお供え用の魚を得るための釣りだと思います。 同時代に詩経というのがあって、庶民の歌が集めれているのがありますが、そのなかに、 あなたが狩に行くなら 弓を袋に入れてあげましょう あなたが釣りに行くなら 釣り糸を縒ってあげましょう 何が釣れますの ぼう魴としょ? ぼう魴としょ?ですって ちょっと見に行きましょう と、いうのがあります。 ぼう魴もしょ?も、わたし見たことなくて、さっぱりわからんけれど、前者は鯉のような魚で、後者はタナゴみたいな魚らしい。 詩経にはこの他にもけつ?魚なども出てきますが、これが食ってとても美味しい魚らしい。 さぁて、孔子さんは、何を念頭に置いて「…釣すれども…せず」なんて言うたのでしょうね。 |
Kiyo Kamijoh | 2002.04.05 | ア.ツナが延縄であるとの根拠・・. お答えでは通説と言うだけで判りません.根拠をお願いします. 本居宣長は後代の話 ですから、この場合は採りません. A釣り針が貴重品・・・ これについては認めていただけました.その先は議論が平行線で確証には至らないと思います. B綱と用例・・・ 用例をお示し下さい. それ以外は、ご了解いただいたと感じております.只、直針は無理だと思います. 前漢の辞書「説文」には「鈎は曲鈎なり」、後漢の辞書「釈名」には「釣は鈎なり」、梁の「玉編」には「鈎は鉄を曲げたるものなり」等の記述がありますから、直針は無理と思います. 追加1 孔子様が行ったのは「遊漁」か「職漁」か 孔子様は貧乏な育ちでした.「我少にして賤なり.故に鄙事に多能なり」と論語のなかでもおっしゃっています.ということは生活のために「職漁」をしたとの想定も可能かと思います. 追加2 詩経とは良いところに目を付けられました. 延縄の可能性が出てくるかもしれません. 目加田氏などの翻案でなく、原典を精読して掘り出して下さい. 孔子様もおっしゃっておられます.「詩三百、一言以てこれを蔽えば、思い邪しま無し」 |
波平 | 2002.04.05 | ごめんなさい。わたしの知識はせいぜい東洋文庫を読む程度のものです。 通説がそういうから、わたしも特に反論すべき根拠が無いゆえに、一応通説に従おうというわけです。 貴方のお説にいま少し感じ入ったら、直ぐにそちらえ鞍替えいたします。 もう少しわかりやすく教えて欲しいな、 釣り鈎は、今の世にも大切な貴重品であります。 お説のとおり孔子時代には直針を使う風教な者はいなかったでしょうね。 そう考えるのが普通でしょう。 太公望時代まで遡れば、あるいは直針もあったかもしれない。 一説には、彼は、針は付けなったなどの説もあるようですから、 綱と用例・・・ですが、ひとくちに延縄といっても、海底に這わせるもの、表層に漂わせる物など、いろいろあるようですね。このあたりのことは、貴方の方がよほどご専門であられる。 わたしは、海底に這わせる方を取りたいです。その方が扱いが簡単だから、 古文書にお詳しいようですね。良い先生に出あってうれしいです。 わたし、古文書解読必携など買い込んで崩し字睨んでみたけど、難儀極まりないです。 “原典を精読せよ”とは、こりゃきついお達しだ。参った参った、 遊漁の可能性は少ないでしょうね。必要なほど釣ればよろしいとの考えは遊びにはなじまない、 詩経は、当時の風俗環境を推し量る伝手として、ごくたまに眺め楽しんでいます。 でも、原文じゃない、翻訳物を読みます。 わたしは、釣り師であって、学者じゃない。 あれこれ考えるのは、一重に魚釣りの感興を楽しまんがためでありますから、厳格な学問的考証には向かないと存じます。 ご不満でしょうが、そういうことでお許しいただけませんか。 重ねて申しますが、わたしツナかアミが判らないから質問を投げかけたわけです。 なんとなくツナような気がしてはおりますけれど…、 でも、面白みとしては、アミであった方が素人にもわりやすくてよいですよね、 |
Kiyo Kamijoh | 2002.04.16 | 済みません.本の名前を間違えてしまいました. 東洋文庫で、茶の湯うんぬんの本は「南洋探検実記」でした. 「蕃談」も面白いには違いないのですが.失礼しました. |
Kiyo Kamijoh | 2002.04.28 | 先日、何気なく吉川孝次郎先生の「中国の知恵」を見ておりましたら、「孔子は釣りをしたけれど川の水をせき止めて魚をとることはなかった.・・」という文章を見付けました. 何か引っかかると思ったのは、昔読んだこれが有ったのかと思いました. この本は、一般書ですから出典などは明記されていませんが、吉川先生のことですから、当然、根拠があるものと思います. 私も、当時の技術、手段を考えると、これが妥当なところではないかと思います. また、何かあればお知らせします. |
波平 | 2002.04.28 | Kiyo さん、情報ありがとうございます。さっそく、わたしも目を通してみます。 |