魚が2048年に消える?

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琵琶湖オオナマズ 2006.11.04 http://news.goo.ne.jp/article/jiji/life/science/061102223843.fam16sy6.html
【ワシントン2日】米国やカナダの研究者の報告によると、乱獲や汚染で海の生態系の破壊が加速し、世界の魚やシーフードが2048年までに消滅する可能性がある。世界的トレンドがこのまま続いた場合、人間への食糧供給や環境を脅かすことになるという。
報告は11月3日付のUSジャーナル・サイエンスに掲載された。この問題についてこれまでで最も本格的な研究だ。
研究に参加した生態学者やエコノミストは「われわれの分析によると、これまでと変わらないことをしていると、世界的な食糧の安全、沿岸の水質、そして生態系の安定性が脅かされ、現在および将来の世代に影響を及ぼすことが示されている」としている。

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こんなニュースが配信されていますが、詳しい方、おられますでしょうか?
魚食い、魚大好きの私としては、たいへん気になる内容です。
日本語で読めるサイトがありましたら、ご紹介頂ければ有り難いです。
白浪@舞鶴 2006.11.05 マグロ保護の本家のお出ましですね

> 魚食い、魚大好きの私としては、たいへん気になる内容です。
> 日本語で読めるサイトがありましたら、ご紹介頂ければ有り難いです。


http://www.worldwatch-japan.org/NEWS/ecoeconomyupdate2003-5.html
http://www.gef.or.jp/seisakuteigen/2006seminar_pdf/1_2_05302006ida.pdf
http://www.gef.or.jp/seisakuteigen/food_2_ida.htm

あたりですかねぇ
地元のタウン情報誌に書いた拙文ですが,こちらの方が読みやすいかも

「コモンズの悲劇」
http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/main/centernews/h15/news02412.pdf
「日本人の足は大きい」
http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/main/centernews/h17/newsp-02a17.pdf
とか(^O^)

で,問題は漁業権のあり方やないですかね
日本の沿岸漁業みたいに原則として浦単位で漁業権があると
乱獲すれば浦自身が潰れるんで自己規制が働く,
でも,
資本家が獲りたい放題に近いやり方(欧米の漁業はほとんどがそうです)だと
あっという間に資源を食いつぶし,次の儲かる魚種に資本が移るってこと.

ここらはσ(^ ^;よりもMANAさんに解説していただく方がいいのですがm(_ _)m

そこらを国家間の取り決めでナントカしようっていうのが
TACとかABCの考え方で,こちらは
http://www.jfa.go.jp/tac/whattac.htm
とか,”TAC 乱獲”でGoogleを探せば一杯出てきます

一方,資源を持続的に利用できるよう管理制度をちゃんと作っている漁業組織を
認証して資源を守ろうとするのがMSCで,
拙文ですがアジアで初めてこの認証に挑戦した京底連の話は
http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/main/centernews/h18/newsp-03a2.pdf

認証制度の解説は
http://www.wwf.or.jp/activity/marine/sus-use/msc/index.htm
http://www.amita-net.co.jp/aise/service/ecolabel/msc.html

ってことで,まぁ世界中でナントカしようとしてるんで大丈夫なんでは...

経済発展に支えられた中国のものすごい購買力が
http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/main/centernews/h18/newsp-03a7.pdf
ちょっと心配ですが(^^;)
MANA 2006.11.05 (0)ほんとはアカヤガラの刺身がうまい、東京湾でもスダテの網に夏はいるという話のほうがいいんだけど、「2048年魚が消える」というショッキングな論文の報道は、わが愛する女房からも、「あんたも年貢の納め時ね」「里海も漁業権も食用魚がいなくなっちゃったら関係なくなっちゃうじゃない」「もうかんないことやらなくってすむじゃない」などとからかわれるしまつ。多少は気になっていたもんですから、ちょっと感想書いておきます。

(1)何日かまえ新聞やテレビで騒がれた21世紀半ばには食用漁獲が成立しなくなるという論文が紹介されました。白浪@舞鶴センセがわかりやすい解説文章数編リンクで紹介いただいたので僕など出る幕ではないのです。でも、この議論は、新しいことではなく、もう何年も前から、繰り返し主張されてきた、マグロ漁業資源保護論者や日本公海漁業批判論者と密接にかかわって(舞鶴の先生もご指摘されるように)いるわけであって、新しく突如発表されたものではありません。

(2)ただ、これからは、この種の資源利用過多や違反操業の告発と、国際的漁業資源利用をどのように規制(禁止)するかという議論に拍車がかかることはまちがいありません。

(3)でもそのときに、グローバリズムのなかでの食糧配分問題を考えるときの視点が必要であることは当然でありますが、こんがらがるといけないので、とりあえずペンディングします。

(4)この問題を批判されている日本の国内問題として、当座どういうことと係わってくるかという点では、舞鶴の先生ご指摘のとおり、「漁業権」(広義の)問題に集約されます。つまり、日本が、沿海域の資源の利用と管理を、これまでと同じでいいのか、少しの手直しで行くのか、旧来方式を捨てて欧米式資源管理方式の完全導入で行くのか、どういう手を打つか、の選択を迫られているときにきている、という点に集約されます。

(5)日本の沿岸海域も資源が減少してきちゃった、もう回復が難しいところまできちゃった、という断定と固定観念によって、資源管理の主導権は、もう「地域に任せる従来方式」はダメになって、「国家」が「資源管理を含めた海面の管理権限を」握らないといけない時代になった、という、意見が最近強くなってきているようにおもいます。

(6)ここで、ちょっとまってよ、もっと、落ち着いて、足元をきちんと見つめた議論をしなけりゃあいけないのじゃあないのか、ということになります。「漁業が成り立たなくなってきたこと」→「資源を管理利用する」システムを考える時に、「地域に任せるの日本で行われてきた従来方式」(漁業権や慣習をとおして地域の特定集団=漁協やムラが管理する)が役立たずになっている」こととをそんなに簡単にイコールで結びつけてしまってよいのだろうか、という疑問が湧いてきます。ロジックのトビコシ(ごまかし?)が、そこにはあるのじゃないか。

(7)つまり、日本の「漁業権」(広義の意味です。実定法上の「漁業権」と「地域権」的な慣行もふくめてです)が存在し続けてきた「地域が主体になって管理する」(A)システムと、「国家による海洋管理の一つとしての資源管理」(B)システムを、どちらが重量が重いかの天秤バカリにかけるような仕方が、はたしてよい方法なのか。AシステムとBシステムは、言葉ではひとくくりにできて、比較対照できるけれども、同じ単位(重量)で比較できるような「もの」なのかどうか。

(8)現代は、Bシステムについての議論の中だけで、なにか「もういいんじゃないのか」と勝手に決め込みすぎているのじゃないでしょうか。

(9)例えば、「持続的」「共生」という社会や経済を将来に生きながらえさせる考えかたは、本来は、Aシステムのなかで現代に伝えられてきた概念であるとともに、またBシステムの社会経済の限界性の反省から生まれてきた概念であることを冷静に考えてみる必要があるように思います。

(10)Aシステムとは、舞鶴の先生がとてもわかりやすくまとめておられるように「一つの漁村に認められる沿岸の漁業権は、普通、園村の地先に暮らす生き物がいなくなれば漁はできません。否応なしに資源を自主管理するしかない」(上野正博「コモンズの悲劇」)
http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/main/centernews/h15/news02412.pdf
という方式であり、広義の「漁業権」(共同漁業権と慣習とローカルルール)を活かすシステムです。

(11)現在の川の管理が、そうとうにだいたんに言えば、水害や水道や産業用水など利水を国家管理の大義におき、Bシステムを採用している例です。つまり、この方式は、自然域(山野河海)は「みんなのもの」であって、「誰の所有にも属さない」にもかかわらず、利水の国家的な目的で、地域(住民の管理)権を認めず、国家管理のカセをはめて、明治以降現在まで来ています。

(12)海は、どうでしょうか。海は、明治以来現代までAシステムを採用してきました。

(13)じゃあ、海は、これからの日本人が、生きながらえていこうとしたときに、Aシステムのままでいくべきなのか。川の管理のような海岸や沿岸域にも国家的管理の「支配」権を援用させてBシステムに大転換すべきなのか。AとBの折衷案はあるのか。

(14)舞鶴の先生が指摘するように、日本の漁業という食料供給産業が、世界中に「大きな足跡」(上野「日本人の足は大きい」)
http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/main/centernews/h17/newsp-02a17.pdf
を付けることで成立してきた時代は終わったことだけは確かであるわけです。僕は個人的価値観に基づけば、鯨の肉もマグロの刺身も、天然ウナギも食べられないことに、危機感も持ちませんし、食べられなくなってもべつに、我慢すればいいじゃん、と言うタイプ(雑草、雑魚でもよい)で、何を大さわぎをしているのかなあと思いますが、まあ、あくまで個人的趣味の範囲にしか過ぎません。自分の足元である沿岸域で、そのかわり、ハマグリを復活させるとか、アサクサノリを復活させるとか、雑魚の価値に眼を向けるとか、地域単位での自主的な管理利用の可能性に眼を向けていくことで、マグロのトロを食べられないで、我慢するかわりに、その飢餓感を、埋めてくれる智恵と工夫(アイデア)を、みんなで考えて「共生」の道をたどるには、どちらの方式がふさわしいか、というように考えてみることもできるかもしれません。

(15)「里海」を考えるということは、こんないくつもの選択肢を俎上に載せて、いろんな料理を出して、こいつは食えないだの、意外とうまいだの、ごった煮があっているだの、やってみようということなのです。
http://satoumi.cocolog-nifty.com/blog/

(16)ぼくは、グローバリズムというのは、結局は、サバイバルの中で、日本という限られた国土と沿岸域の活用ということに置き換えることだと考えています。世界的基準という大きな枠組みの方式がよいのか、日本の地域が築き上げてきたシステムが生き残るのに手っ取り早いのかを考えるということなのです。自分では、どっちがふさわしいのかは、結論付けていますが、日本という国の中で、こういう意見の出し合い、検討のしあいをあんまりやってきていないので、いろいろな人の意見を聞いて回る機会をつくっています。
整理をしようと思っていたので良い機会になりましたが、またまた、長文になりましたことをご容赦下さい。
琵琶湖オオナマズ 2006.11.05 このところ、本職のほうが忙しくて、精神的に余り余裕がないため、難しいことが考えられないのですが、、、、
そのうえ、上野先生ご教授のサイトも、まだ読めてないので申し訳ないです。

> (16)ぼくは、グローバリズムというのは、結局は、サバイバルの中で、日本という
> 限られた国土と沿岸域の活用ということに置き換えることだと考えています。

非常に直感的なんですが、これがポイントだと思うんです。
沿岸で獲れる魚やその他の海産物を増やす、沿岸で獲れている魚で捨てている魚も、食べられるように工夫する。
当然ですが、沿岸で獲れる鯨も、もちろん食料とするのは当然のことです。
そんなんが大事なんじゃないかなーと思います。
輸入が困難になるのなら、身の回りの海や川や湖を見直すしかないでしょう。
そして、養殖の重視ですね。
白浪@舞鶴 2006.11.06 問題点を整理してくださってありがとうございます>MANAさん

>>(16)ぼくは、グローバリズムというのは、結局は、サバイバルの中で、日本という
>>限られた国土と沿岸域の活用ということに置き換えることだと考えています。

> 非常に直感的なんですが、これがポイントだと思うんです。
そうですねぇ.で,問題になるのがMANAさんご指摘の誰がどう資源を管理するかなのですが...
すでに,農協は合併が進み,漁協の合併もかなり進んでいます.
いまは,まだ,かっての単位漁協であった支部が地先の管理についてはちからをもってますが,こんごどうなるか.

> 輸入が困難になるのなら、身の回りの海や川や湖を見直すしかないでしょう。
> そして、養殖の重視ですね。

養殖とか栽培漁業について,私はかなり悲観的に思ってます.
エネルギーの収支を考えると,とうていペイしないんで.
すでに,養殖の餌に使われている小魚が,中国市場に食糧として流れ始めてることを考えるとなおさら.
やはり人口を減らすしかないのではm(_ _)m
MANA 2006.11.06 《すでに,農協は合併が進み,漁協の合併もかなり進んでいます.いまは,まだ,かっての単位漁協であった支部が,地先の管理についてはちからをもってますが,こんごどうなるか》
そうなのです。一例をあげましょう。
島根県漁連は今年の1月県内1単協に合併して、「漁業協同組合JFしまね」になりました。それまで、松江市の一つの漁協である恵曇漁業協同組合は、「漁業協同組合JFしまね」「恵曇支所」に名称が変わります。
それでは、恵曇漁業協同組合に昭和40年代に合併した地区(恵曇・古浦・手結・片句=旧漁協)の名称は、それまで、それぞれ「片句支所」「古浦支所」「手結支所」と呼ばれてきましたが、県内1単協後は、どう呼ぶことになるのでしょうか。
こうなります。
恵曇漁協片句支所は、「漁業協同組合JFしまね」「恵曇支所」「片句出張所」と呼ぶそうです。
そして、この「片句出張所」と地先海面の共同漁業権の権利主体との関係は次のようになります。
明治期以降の「片句区・地先水面専用漁業権」を戦後の漁業法制定ご承継した「片句漁協・第一種共同漁業権」になり、そのご「恵曇漁協」に免許された第一種共同漁業権の権利主体は「恵曇漁協片句支所」が引き継ぎ、平成18年の県内1単協後は、その権利主体は「片句出張所」が引き継いでいくということになるわけです。
1個の伝統的に1漁村地区で実質上保持管理してきた「海の入会権」である「第一種共同漁業権」は、このように、法律上は不変であるはずですが、権利主体の当事者以外にはとってもわかりにくい権利の存在になっていきます。漁業者ではない一般市民が、その権利の所在を理解しようとしてもわからないでしょう。
確かにいろいろと問題が起こってくるでしょう。片句地区は中国電力の島根原発第3号機建設地に隣接し、この問題が浮き彫りにされてきました。
各地でもきっと同種の問題がおきるでしょう。合併は、経営改善や組織強化によってコスト削減が大義ですが、現実には、1個単位の旧組織の問題(赤字や不正)を隠蔽する一方で、1個単位の不変の権利実体を公衆の目に見えずらくさせるようになります。功罪有るのは当たり前というでしょうが、どっちが地域にとって益なのか、5年後、10年後明らかになるでしょうが、そのときはすでに遅し、とならなければ良いですね。

《> 輸入が困難になるのなら、身の回りの海や川や湖を見直すしかないでしょう。
> そして、養殖の重視ですね。

養殖とか栽培漁業について,私はかなり悲観的に思ってます
エネルギーの収支を考えると,とうていペイしないんで.
すでに,養殖の餌に使われている小魚が中国市場に食糧として流れ始めてること
を考えるとなおさら.》

MANAもどっちかというとコストと食糧自給にとっては「悲観的」ですが、地域産業維持や地域の仕事場創出のことを考えれば、「養殖産業」は、重要な選択肢の一つであることに変わりないと考えています。
中国国民がマグロを食べるようになり、小型サバが輸出されるようになりました。インドや中国が魚食国民になれば、当然、日本に回ってこなくなりますねえ。
これは、もう20年ぐらい前になりますが、冷凍エビの国際市場競争を垣間見ながら身につまされました。東海黄海の天然大正エビを獲り付くした張本人は日本と中国ですが、中国は大正エビ養殖を行い、インドはブラックタイガー養殖に力を注ぎ(インドネシアなどの供給国のことはとりあえず問題点を絞るためにペンディング)、主にアメリカと日本市場の需要にこたえてきましたが、両国養殖とも斃死をきっかけに養殖生産は極減、その後は、大量安定供給時代は終焉をトゲ、地域的、種的な対処療法をとることでに、少量不安定なエビの世界市場を構成して現在に到っているという「大きな」(こまかいところはもうエビの情報を得る仕事とは離れてしまっているのでわからない)流れを見ることができるでしょう。
問題は、その「大量安定供給」→「少量不安定供給」の市場構造の中で、日本市場は、常に、アメリカと中国の後塵を拝する位置を甘んじて受け入れざるを得なかった苦い教訓があるではないか。もう20年前に、もし中国がエビを内陸地区でもいまよりもっと食べるようになれば、日本など市場で価格決定権が奪われるだけでなく、量そのものがこなくなる憂き目に会うぞという警告をしている流通業者は何人もいました。アメリカ全体の供給を確保するために、中南米地区のバナメイ養殖を斃死事故の教訓を活かしながらかろうじて生産地帯として維持し続けてきた背景には、アジアとアフリカと中南米を天秤にかけながらうまく立ち回ってきた世渡り上手、したたかな姿がありました。エビの教訓をマグロやその他の有用魚に置き換えて市場競争の智恵に生かすことができるか、という問題があります。
日本では、「地産地消」という言葉にすぐ飛びつくのに、流行になるのは早いし、みんなその言葉を使うにかかわらず、5年たっても10年たっても実体として根付いているところが少ないのは、なんとも悲しい限りです。

《やはり人口を減らすしかないのではm(_ _)m》
これじゃハーディンの論理に、またまた逆戻り。ああ、くたびれた。
白浪@舞鶴 2006.11.07 > それでは、恵曇漁業協同組合に昭和40年代に合併した地区(恵曇・古浦・手結・片
> 句=旧漁協)の名称は、それまで、それぞれ「片句支所」「古浦支所」「手結支所」
> と呼ばれてきました

懐かしいなぁ...30年ばかり前,操業開始した島根原発の漁業被害を調べていて,ここらの浜の仕切り帳やら漁師さんの操業日誌と毎日戯れておりました(^O^)

> 各地でもきっと同種の問題がおきるでしょう。合併は、経営改善や組織強化によって
> コスト削減が大義ですが、現実には、1個単位の旧組織の問題(赤字や不正)を隠蔽
> する一方で、1個単位の不変の権利実体を公衆の目に見えずらくさせるようになりま
> す。功罪有るのは当たり前というでしょうが、どっちが地域にとって益なのか、5年後、
> 10年後明らかになるでしょうが、そのときはすでに遅し、とならなければ良いですね。

そうなのです.もっと直截にいえば,たとえば農協のように一県一漁協になるとすると,福井県の場合なら越前と若狭っていうまったく風土も利害も異なる地域をひとまとめ.若狭に立ち並ぶ原発群になんかあっても,漁協の主力は越前なんでどうなるのかなぁ...っていうようなこと.

> MANAもどっちかというとコストと食糧自給にとっては「悲観的」ですが、地域産
> 業維持や地域の仕事場創出のことを考えれば、「養殖産業」は、重要な選択肢の
> 一つであることに変わりないと考えています。

この点に関しては全くそのとおりだと思います.

> 日本では、「地産地消」という言葉にすぐ飛びつくのに、流行になるのは早いし、み
> んなその言葉を使うにかかわらず、5年たっても10年たっても実体として根付いて
> いるところが少ないのは、なんとも悲しい限りです。

ですねぇ...地産地消を行政の立場でナントカしようって(正確にはそういう仕事を押しつけられた^^;)教え子が沢山いるのですが,聞こえてくるのは愚痴ばっか.

> 《やはり人口を減らすしかないのではm(_ _)m》
> これじゃハーディンの論理に、またまた逆戻り。ああ、くたびれた。

そうおっしゃらずに(^^;)
でも,どう考えても
人類のような巨大な動物が60億匹も地球上にいるのは異常ですぜ(^O^)
既に古代文明による環境破壊が進み,四大文明発祥の地やその後継者のギリシャ・ローマがバサバサの乾燥地になった紀元零年の人口が3億人くらいやったそうです.
地球上に暮らすいろんな動物の体重と個体数の関係からいうとこれでも多すぎるくらいですが,この辺が生態学的な限界密度の一つで,文明の力で限界密度を押し上げてきて第二次大戦の頃で30億,ここらで折り合いを付けるべきやないですかねぇ

日本でいえば,江戸時代の後半は3000万人台で安定,文字通りの地産地消できるのはこの辺が限界.
σ(^ ^;としてはこれくらいの人口なら住みよい国になるやろうなぁと...

明治からこっちの侵略の歴史は増え続ける人口をなんとかせなという圧力が原動力のような気もいたします.
それでも,太平洋戦争の頃で6000万人くらいですから,今の一億二千万人って無茶苦茶.
少子化が進むのは動物として健全な調節本能が働いているからで,それに抗う少子化対策って馬鹿みてぇに思うのですが.
しーちゃん@育児休業中 2006.11.08 言葉の勢いだとは思いますし、古代文明による乾燥化や地球上の60億強の人類の数は多すぎってのはもちろん同意の上ですが...

> 今の一億二千万人って無茶苦茶
> 少子化が進むのは動物として健全な調節本能が働いているからで
> それに抗う少子化対策って馬鹿みてぇに思うのですが

こんな風に言われちゃうと、現在の行政の少子化対策にわずかでも恩恵を受けている身としては、立つ瀬が無いんですが...(^^;)。
白浪@舞鶴 2006.11.08 あっ釣れたぁ...って...ゴメンねm(_ _)m
京都の人間は底意地が悪くて,「口が滑った」わけではなくて,
こんな反論を期待して書いてたりするモンで.

σ(^ ^;元々はお人好しの浪速男なんですが,もう,40年くらいイケズの総本山みたいな学校にいるもので,本当にごめんなさいm(_ _)m

で,本題ですが,もう半世紀以上前,ベビーブームで世界中は大騒ぎ.
こんな勢いで人口が増えると資源が枯渇するというので産児制限運動が起こります.
で,私たちの世代はほとんどが兄弟姉妹二人.

その後,世界的な経済復興で「公害」が顕在化し,ますます人口抑制の動きは強くなりますが,そのときに問題になったのが途上国の人口爆発.
国連が中心になって進めた人口抑制政策は,当初はコンドームの配布や避妊教育だけだったのですが,半ば強制的な人工中絶にエスカレートしていきます.
そして,94年のカイロ会議で,こんな母性を無視した非人道的な政策は止めようってことになります.当たり前ですよね.

現在の少子化対策はこのカイロ宣言の流れを受けているわけですが,ちょっとおかしいことに気づかれませんか.
当初の問題は資源の枯渇という,いわば科学の問題.
現在の問題は,母性の保護という人権の問題.
同じ人口政策の顔をしてるけど中身はまるで違うのです。
私が言いたいのは「母性保護」を少子化対策って呼ぶなよなぁってこと.これは基本的人権の保護なんで当然の権利.
人口問題とは次元が違う話やないかということです.
もちろん,いろんなトコでバッテイングはするのですけどね。
でも,ここんトコをちゃんと切り分けて議論しないと,どうしょうもないと思うのですが,如何なものでしょう.





Copyright(C) Dec.24.2006 by Toshio Yabe. Allrights reserved