魚の目に泪

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波平 2002.04.28 今日(4月28日)の日経新聞朝刊最終ページに、「うたはめぐる」というコラムがあって、芭蕉の句のことが出ております。
奥の細道の、“行く春や鳥蹄魚の目は泪” についてであります。
以前から、この句の正しい解釈のありかたがわたし気になってしょうがない。
もし、よろしかったら、お説を伺いたいのだけど、
Kiyo Kamijoh 2002.04.28 確かこの句は、奥の細道に出発するときに千住あたりで詠んだものと記憶しています.
この魚は「うるめいわし」で、芭蕉がこれからでる旅への不安と期待を込めたものと思います.
鳥ですが、月並みに都鳥ではなく、ホトトギス(本当は、「とけん」と書きたいところですが)とみたほうが興深いと思いますが.
波平 2002.04.28 そうですか、ウルメイワシでしたか。
潤目鰯と書きますわな。泪で目が潤むってとこですか。
出立の頃は季節的には鰯が旬ではあったと思うけど、生ではなくメザシかヒラキだと、ちょっと難儀ですなぁ。この際、生だったことにいたしましょうか。

何羨録の著者津軽采女は本所に居宅があって、四六時中江戸湾で魚釣りしていたらしいけど、イワシに関しては記述がないように思いましたが、当時本所・千住あたりで食うイワシはどこで取れたものでしょうね。
目黒で食うならサンマでしょうが、本所で食うなら何を食うかを食い気中心に考えると、当時は本所・千住のウナギが名物でもあったらしい。
わたしは送別の宴にウナギが出たのではなかろかと思ったりしておりましたです。
でも、ウナギと泪では釣り合いがわるすぎる。

鳥ですけど、わたしは都鳥だとおもうなぁ。
ユリカモメですよ、きっと、哀しげに鳴きます。

それにしても、奥の細道のなかでも、この句だけが妙にわき道へそれているように思われてならんです。
すきっとしません。
今日の日経のコラム筆者高橋順子氏は、「鳥も魚も命のかぎり生きているこの世を、童画風に軽みをもって詠んだもの」と、されている。
そうでしょうかねぇ、やはりすっきりしませんです。
Kiyo Kamijoh 2002.04.28 芭蕉は、本所当たりに住んでいたと記憶しています.
旅立ちは、当時の習慣として早朝足元の暗い内に出たものです.(お江戸日本橋の例にもあります).
浅草付近から船に乗って川越当たりに行き、東北へ向かったと記憶しています.
船に乗る時か下りる時に詠んだものと思います.
当時は、海が現在より陸に迫り、魚河岸も神田にあったはずです.
江戸湾では六駄網といういわしを取る網が盛んに行われていましたから、河岸でそのいわしを見たものと思います.
ホトトギスは、古来、哀音せまるものとして詩歌に詠われておりますので、月並みな都鳥でなくてより興が深いと感じただけです.
波平 2002.04.28 六駄網ですか。
なるほど、地引網でしょうか、6頭の馬か牛で引っ張りましたか?
そうでしょうね、おっしゃるようにホトトギスの方が興が深い。やはり、ね、
Kiyo Kamijoh 2002.04.28 六駄網は小型のアグリ網(無嚢)です.
網を運ぶに馬6駄分なのでこの名が付いたとも言われていますが、取るに足らない浮説でしょう.
春のいわしですと、小晒網(こざらしあみ)の方が可能性が高いと思います.これは浮刺網です.
いずれも江戸湾では相当に使用されていた漁具です.
鳥については、受け取る人の好みですから、それぞれの感慨で良いのではないか、と思います.



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