はじめまして。うなぎに詳しい方からこの掲示板を教えていただきました。よろしくお願いいたします。 早速ですが、イクラの語源を調べておりまして、イクラという言葉は、明治時代にロシアから入ってきた言葉であり、昭和の初めには日本語として広く定着したということが判りました。 しかし、新たに疑問がうかびました。それは、明治より前に、鮭の卵は、すでに食べられていたはずなのにどうして、明治になって名前がイクラという名にかわってしまい、その名は多くの日本人に受け入れられ、日本語として定着したのだろうということなのです。この理由を教えていただけないでしょうか。 |
書き込み日 2003年1月16日 |
キャビアの代用品ですから、ロシア語はわかりますよね >明治より前に、鮭の卵は、すでに食べられていたはずなのにどうして、 冷蔵庫の登場する大正までは、イクラは北の地方では食べられていましたが、それ以外は日持ちしませんので食べられていなかったはずです。 |
レスをくださりありがとうございます。 鮭の卵、筋子は江戸時代から食べられていたし、また、はららごという名もあったときいております。 だから、不思議なんです。イクラという名が明治のときにロシアから入ってきて、その名が受け入れられてしまったことが。 今では、昔からある日本語だと思っている人、けっこう多いのではないでしょうか。 |
私の知人がずっと調べてくれていました。おそらく一番古い文献です。http://8126.teacup.com/togoezatuwa/bbs の板に書き込んでくれました。参考になればうれしいです
私は「ニチロ」のイクラ缶が最初のきっかけと思っていました。 http://www.nichiro.co.jp/i/gazo/img/03_120.gif 全国的な普及は、やはり大戦後のすし屋での軍艦巻きによるものだと思います。 それと「はららご」などでは他の魚卵との区別がつきにくいので自然に無くなったのと、舶来品を好むブームにのったためだと私は考えています。 |
すいません、掲示板では流れてしまいますので >今日、味の素株式会社の資料室でついに資料をみつけましたぞ。 雄山閣刊 小菅桂子著「近代日本食文化」によると、 大正4年(1915) 明治屋のPR誌「嗜好」で「イクラ」を紹介したのが最初であるというはなしです。 記事の内容は以下のとおりです。
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