関東風と関西風のうなぎ
はじめまして。
ウナギ初心者なのですが、関東風と関西風のうなぎの境界線ってどこなんですか?? 教えてください。
書き込み日 2003年11月11日
長野県あたりだと言われていますが、線引きは難しいと思います。
それに、中部名古屋圏は、ひつまぶしが主流のようですから。
関西風と関東風の違いが「蒸すと蒸さないで地焼」とするなら、中山道では長野の諏訪と岡谷付近、東海道では浜松付近です。
>中部名古屋圏は、ひつまぶしが主流のようですから。
ナマヅさん、確かに東西の文化が交わる付近では独自の食文化ができていますが、決して名古屋ではひつまぶしが主流という意味ではありません。
それぞれの鰻屋では、あくまでも、蒲焼やうな重、うな丼が主流だと思います
関東風と関西風の分け方ですが・・・・・・「背開きと腹開き」という分け方はありませんか。
ただし、この場合は、九州とか四国とかは微妙なんですが。

> それぞれの鰻屋では、あくまでも、蒲焼やうな重うな丼が主流だと思います
あ、そうですね。ちょっと認識不足でした。
こういう書き方をすると、名古屋の方におこられるかも・・・・・・
一般的に、名古屋には安い商品が流れます。
例えば、トキシラズという春に獲れる白鮭。脂がのって美味い。
京都には、釣ものが入ります。一本ずつ、丁寧に発泡スチロール箱に入ったもので、刺身にもいける鮮度のものです。
名古屋に行くのは、定置に入ったやつで、数匹を木箱に詰めたやつです。
もちろん、値段はかなり違うし、売り方も違います。
名古屋は、輪切りにして一切れ100円で売っても利益が出るようですが、京都では絶対にそんな売り方はしませんし、価格的にできないのです。

ひつまぶしは、蒲焼きにしたら2人前しか取れない鰻から、3人前は取れるんですね。
1000円のウナギの場合、蒲焼きなら一人前500円。ひつまぶしなら、一人前330円ですみます。
このへん、ある意味合理的で、名古屋的だと思います。
鰻をうまく使ってご飯を食べ、おなかいっぱいになるのがひつまぶし。
鰻とあたたかいご飯とタレの微妙なまじわりを「味わう」のが、鰻丼なり、鰻蒲焼で食べるご飯でしょう。

名古屋圏が、実用的合理的だということは、十分認められることだと思っています。

最近、うちでも、ひつまぶしのほうが多いですよ。(^_^;)
背開きと腹開きでは、例外が多いので難しいところなのですが・・・

「まぶし」なんですが、もともと「まぶし」をしている店での蒲焼の量は、蒲焼の1.5倍の上蒲焼の量で作られている店が多いですよ。(ちなみに私の店もそうですがf(^_^;)
ナマヅさんの言う、
>ひつまぶしは、蒲焼きにしたら2人前しか取れない鰻から、3人前は取れるんですね。
は、私が思うには採算の面で「まぶし」の単価を下げての、後からメニューを作られて考えだされた商品で、比較的新しく「まぶし」を取り入れている店に多いですね。
と書いても、名古屋圏が実用的合理的だということは私も思います。
ひつまぶしの件で、僕が書いたのは、あくまで「家庭料理」というレベルで考えた場合のことです。
ナマヅさん、ゴメンなさい!! 混同してしまいました。
いえいえ。それより、料理やさんの「ひつまぶし」は、鰻の量が多いのを教えて頂いたのは、収穫でしたよ。
元祖ひつまぶしを名乗る○莱軒で、ひつまぶしをご馳走になりましたが、(会席の、最後の一品として、)ウナギの量は、かなり、多かったですよ。
蓬莱*ですね。
これは私の勝手な推測なんですが、もともと家庭料理として「鰻蒲焼を細かく切ってアツアツのご飯に混ぜる」というのがあったのではないかと思います。
それを、うなぎ料理やが客に出せる料理として形を整えたのが「ひつまぶし」ではないのでしょうか。
もしも、もう一度行くようなことがあったら、開発の由来なぞ、聞いてみます。
でも、名古屋にゆくことも、あまり、ありませんし。
>これは私の勝手な推測なんですが、もともと家庭料理として「鰻蒲焼を細かく切ってアツアツのご飯に混ぜる」というのがあったのではないかと思います。
それでは私も同じく、私の勝手な推測なんですが 家庭料理ではなくて、恐らく鰻屋の家庭料理(家人の食事)だったと思います。
今の活鰻の酸素を使ったトラック輸送の前は、時期にもよるのですがかなり「アガリ」が出てしまいました。 
また、当時は私達のような末端の鰻屋には、毎日トラックで送られて来る訳でもないのですので、鰻屋の「立て場」でもアガリが出てしまいます。 
死んだウナギは商品になりませんので、処分に困りましたのが殆んど佃煮にして「おかづ」にしていました。
比較的鮮度の良い物は「まぶし」のように蒲焼にして、山葵や葱と混ぜて食べてもいました。
「うな茶」なんですが、おそらくこの「佃煮」でうな茶をされて食べていたうなぎ屋さんが多かったと思いますが、浜松ではこの「うな茶」と言うと現在の「まぶし」によるお茶漬けの事を言います。(全部ではないですが)
ですから、処分に困ったうなぎ屋のお惣菜でしたのでウナギもたっぷりでしたし、一般の家庭では食べられていなかったのではと思います。
名古屋の「いば○」さんか「蓬莱*」さんか忘れてしまいましたが、そこでもうなぎ屋の「おかづ」でして、もともと「出前に行く途中でうな重をヒックリ返してできた」な〜んて逸話も残っていますが、実際はどうだか疑問ですね。
金太郎さんのお説は信憑性ありですね。
やはり、名古屋の人の合理性をあらわすできごとだと言えますね。
まあ、大阪人はもっとひどいんですけどね。「船場汁」の話は有名だから、みなさんご存じでしょう。



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