いかなご釘煮のルーツは?

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琵琶湖オオナマズ 2003.01.21 カマスゴの話がつづいていますが、ちょうど今頃、イカナゴが産卵するのですよね。
これがだんだん大きくなって、あとひと月ほどすれば、新子が出始めます。
釘煮の季節がきますよ、魚の棚は大繁盛ですよね。
ところで、「イカナゴ釘煮」のルーツはどこなんでしょうね。
神戸・明石方面の方、どなたかご存じの方はおられませんでしょうか。
まっちゃんです(^^ゞ 2003.01.22 > これがだんだん大きくなって、あとひと月ほどすれば、新子が出始めます。
もうそんな時期かぁ〜 、なんかせわしいのぉ〜。
ぼくらより一足先に和歌山のゆうなぎさんトコでは、もぉはじまるとちゃうかなぁ〜(^^ゞ

> 釘煮の季節がきますよ、魚の棚は大繁盛ですよね。
う〜〜〜〜確かに以前は(^_^;)
ブームはますます大きくなってるんやけんどぉ、最近はスーパーを始め、あっちこっで積極的に売るようになってきてるから、わざわざ魚の棚に来られる人も少なくなってきてるんよぉ〜。
京都でも売ってるしねっ!←あっ!これ嫌みとちゃうよぉ〜/笑o(^ε^)o
最初は、みんなしらん顔してたのに〜〜〜

> 神戸・明石方面の方、どなたかご存じの方はおられませんでしょうか。
もともとは垂水・須磨あの辺りの人だけが炊いてたん。
ほんま一部の人だけのモンやったんよぉ〜。
だから明石浦なんかでは権利を放棄した漁師さんもいるんよぉ〜、今じゃ考えられへんよなぁ〜。
なんとかならないかと明石浦漁協の婦人部なんかもけっこう普及活動したとか
........................
大成功やねっ!(^^ゞ  魚の棚でも炊き方講習会をやってもらいました(^^ゞ
紫苑 2003.01.22 >ところで、「イカナゴ釘煮」のルーツはどこなんでしょうね。
>神戸・明石方面の方、どなたかご存じの方はおられませんでしょうか。

前にこういうHPをみたことがありますが・・・
........................
1935年、神戸市垂水区塩屋町の「魚友」松本信子に、ジェームス山の別荘地に住んでいたお客様より 「いかなご を佃煮にしてくれないか」 と依頼されました。
そこで醤油・砂糖(キザラ)・生姜を使用して、試行錯誤のうえ炊き上げました。
その後その住人が近所の方々に配るなどするうちに評判になり、「魚友」の店頭にも置くようになりました。
それまでは、「いかなご」といえば「釜揚げ」と、それを天日干した「かなぎちりめん」がほとんどでした。
1960年代頃になって、神戸市垂水漁協の組合長により「くぎ煮」 (出来上がりが「さびた古釘」のよう)と名付けられました。
それとともに、神戸市垂水区の各家庭でも炊くようになり、盛んになってきました。いまでは、関西の春の風物詩のひとつに挙げられるようになりました。

  (神戸新聞2000.2.8 婦人神戸1999.4.15 広報神戸1999.3他より)
........................
ここまでがHPの内容

昔のいかなご漁のときは、船になべとコンロを積み込んで、大なべにしょうゆを入れ沸騰させ、獲れたてのいかなごを入れて食べる(しょうゆ煮)
『聞き書き 兵庫の食事』と言う本の瀬戸内沿岸《明石》の食に、醤油煮は載ってました。
これがもと《ルーツ》かなぁとおもってたのですが・・・裏づけが取れない・・・
余談ながら、あといかなご料理は いかなごのぬた いかなごの巻き寿司とかもあるようです。
ふじた@神戸垂水 2003.01.22 >最近はスーパーを始め、あっちこっで積極的に売るようになってきてるから、
>わざわざ魚の棚に来られる人も少なくなってきてるんよぉ〜

垂水のスーパーJは、去年の冷凍モノの在庫セールやっていますよ。
「くぎ煮のたれ」もセールしてました。
垂水ではJをはじめ、D、Cも3月になるといかなご一色になります。
はやくも「いかなごGO!GO!」という”いかなごソング”が流れています。

>もともとは垂水・須磨あの辺りの人だけが炊いてたん。
>ほんま一部の人だけのモンやったんよぉ〜

と、私もそうだと聞いたことあります。
垂水区役所のサイトでも、「いかなごくぎ煮発祥」と書かれています。
シンコ解禁の頃、祭事も行われます。ちなみに去年は、
  • 「いかなごGO!GO!2002」
  • 日時:3月6日(水) 9:30〜15:30
  • 場所:垂水勤労市民センター
  • 内容:くぎ煮味自慢コンテスト、いかなご歌・おどり、神戸市消防音楽隊演奏他
ということでした。これだけおおっぴらでしたら、垂水がそうなのかなと思います。
まっちゃん 2003.01.22 ちょっとお願い、許可願い!

> 1935年、神戸市垂水区塩屋町の「魚友」松本信子に、ジェームス山の別荘地に
★中省略★
> ひとつに挙げられるようになりました。
> (神戸新聞2000.2.8 婦人神戸1999.4.15 広報神戸1999.3他より)

この部分、ぼくのHPから紹介させてくれへん?
許可がおりてからアップするから、連絡して〜〜
琵琶湖オオナマズ 2003.01.23 > ぼくらより一足先に和歌山のゆうなぎさんトコでは、もぉはじまるとちゃうかなぁ〜
そうですね、紀州は先に始まるし・・・ゆうなぎさんも出てきてくださいよ。
淡路の南のほうも、早く始まるんでしたよね。

> 最近はスーパーを始め、あっちこっで積極的に売るようになってきてるから、
> わざわざ魚の棚に来られる人も少なくなってきてるんよぉ〜

僕は、10年以上前に、魚の棚に行って勉強したんですよ。
あのフィーバーはスゴイと思った。

> 京都でも売ってるしねっ!←あっ!これ嫌みとちゃうよぉ〜/笑o(^ε^)o
(^_^)v

> もともとは垂水・須磨あの辺りの人だけが炊いてたん。
> ほんま一部の人だけのモンやったんよぉ〜

そうやねー、僕がバイヤーになったときは、京都には釘煮の製品が細々と入っていたという感じで、まだそんなに売れてなかった。
コープこうべの商品部に行って、新子の生だけで1億円売れるという話を聞いて、こりゃ京都でも売らんとあかんとおもたんですよ。そのあとです、魚の棚を見に行ったのは。

> だから明石浦なんかでは権利を放棄した漁師さんもいるんよぉ〜
> 今じゃ考えられへんよなぁ〜

そうなんか・・・今から思うと、もったいない話や。
琵琶湖オオナマズ 2003.01.23 > そこで醤油・砂糖(キザラ)・生姜を使用して、試行錯誤のうえ炊き上げました。
> その後その住人が近所の方々に配るなどするうちに評判になり、
> 「魚友」の店頭にも置くようになりました。

ありがとうございます、この情報は初めてですよ。
具体的な話で、信憑性が高いですね。

> それまでは、「いかなご」といえば「釜揚げ」と、> それを天日干した「かなぎちりめん」がほとんどでした。
そうですね。

> 1960年代頃になって、神戸市垂水漁協の組合長により、 「くぎ煮」 (出来上がりが「さびた
> 古釘」のよう)と名付けられました。

ははーー、そうなんですか。

> それとともに、神戸市垂水区の各家庭でも炊くようになり、盛んになってきました。
> いまでは、関西の春の風物詩のひとつに挙げられるようになりました。
京都で爆発的に売れ出したのは、ここ4年〜5年前からですね。

> 昔のいかなご漁のときは、船になべとコンロを積み込んで、大なべにしょうゆを入れ沸騰させ
> 獲れたてのいかなごを入れて食べる(しょうゆ煮)
> 『聞き書き 兵庫の食事』と言う本の瀬戸内沿岸《明石》の食に、醤油煮は載ってました。

そういう漁師料理はあったでしょうね。

> あと、いかなご料理は いかなごのぬた いかなごの巻き寿司とかもあるようです。
そういうのは、市販されているのでしょうか。
琵琶湖オオナマズ 2003.01.23 神戸の方が、私の書いたイカナゴのページを見てくださり、下記のようなメールを下さいましたのでご紹介致します。(ご本人に許可を頂いています。)
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もともとは、垂水・須磨近辺の一部の人だけのものだったというのが真実のようです。
江戸時代、明治時代、戦前かと思いをはせていますが、小生も 『聞き書き 兵庫の食事』の瀬戸内沿岸《明石》の食に、「醤油煮」を見つけました。『釘煮』という名称ではありません。

1887年(明治20年)の『兵庫県漁業慣行録』や平成6年4月発行の『垂水百年の歩み』に、1923年の『垂水誌』の記事にイカナゴ漁のことは載っていますが、『釘煮』はありません。
今度、神戸大学農学部の保田茂教授にも聞こうと思っています。

ところで1923年の『垂水誌』に、「・・・イカナゴは、近年垂水村の漁獲物の中で最も重要なもののひとつで、漁獲高は各部落ともにほとんど数千円に達している。漁業は引き瀬網で、魚は潮流に乗って流れ込むので、ほとんど手数は要らない。そのため、この網を一名道楽網という」と、面白い記事がありました。
当時は、陸からイカナゴが取れたのですね。今のたて網でしょうか?

垂水では、戦前より祭りに欠かすことのない「イカナゴ巻きすし」があった。
ふるせと新子の釜揚げを、海苔巻きするのだそうです。
また、釘煮とはいわなかったようですが、醤油・砂糖・生姜で煮込んだ漁師の保存食があったようです。

8年前の震災の後、各地からの見舞いに対して、そのお礼に『イカナゴの釘煮』を送った人も多く、急激に普及したと郵便局の人が言っていました。
今では垂水郵便局でイカナゴの釘煮を『ふるさと小包』として送ってくれます。

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以上です。
波平 2003.01.24 わたし、垂水・ジェームス山に住んでました。
毎年、イカナゴの季節になると、母がハッスルして釘煮作りに精出しておりました。
あれって意外と体力が必要なようです。
煮る途中で幾度も鍋ごと持って具をゆすり・ひっくり返します。
なにせ箸を入れたら味が変わるらしい。
その母ですけど、90過ぎて鍋が振り回せなくなってしもうた。
わたし最近母の釘煮が恋しゅうてならん。
彼女、我が家のすぐ近くの老人ホームでボヤ〜と余生送ってます。
あぁあ、なんか切ないですなぁ〜、
琵琶湖オオナマズ 2003.01.24 お母さん、お元気で長生きされるといいですね。

> 毎年、イカナゴの季節になると、母がハッスルして釘煮作りに精出しておりました。
ところで、いつ頃から釘煮をつくっておられたのか、記憶にございますでしょうか。

> その母ですけど、90過ぎて鍋が振り回せなくなってしもうた。
> わたし、最近母の釘煮が恋しゅうてならん。

その技術は、波平さんが継承しないと・・・・・
琵琶湖オオナマズ 2003.01.24 > 神戸の方が、私の書いたイカナゴのページを見てくださり、下記のようなメール
> を下さいましたのでご紹介致します。(ご本人に許可を頂いています。)
> −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> もともとは、垂水・須磨近辺の一部の人だけのものだったというのが真実のようです。
>

(以下略)

これに対して、私が下記のような返事を書いています。
MLのほうの流れと関連しますので、MLに送ります。
−−−−−−−−−−−−ここから−−−−−−−−−−−
> 江戸時代、明治時代、戦前かと思いをはせていますが、小生も 『聞き書き 兵庫の食事』
> の瀬戸内沿岸《明石》の食に、「醤油煮」を見つけました。
> 『釘煮』という名称ではありません。

小魚を煮る(佃煮風)料理法は素朴なものですし、昔からあったのでしょうね。
今の形にいつからなったのかというのは、なかなか判断が難しいのではないでしょうか。

> 漁業は引き瀬網で、魚は潮流に乗って流れ込むので、ほとんど手数は要らない。
> そのため、この網を一名道楽網という」と面白い記事がありました。
> 当時は、陸からイカナゴが取れたのですね。今のたて網でしょうか?

昔は、今よりずっと魚の密度が高かったでしょうから、そういう事があったとしてもおかしくないと思います。

> 8年前の震災の後、各地からの見舞いに対して、そのお礼に『イカナゴの釘煮』を送った人も
> 多く、急激に普及したと郵便局の人が言っていました。

私は、震災の3年前に明石浦漁協に行き、生新子の京都への直送の話をまとめ、その年から直送を始めました。
2年ほどはロスばっかりで、3年目になってちょっと売れるようになり、今年からはそこそこいけるかなと思っていたところで震災がおこったのです。
あの震災で道路が破壊されたため、2年間は新子の直送ができませんでした。
3年目から再開したのですが、4年目ぐらいから軌道に乗り、一昨年あたりから京都でも爆発的に売れるようになりました。
−−−−−−−−−−−−ここまで−−−−−−−−−−−
MANA・なかじま 2003.01.24 ●返信―その1 釘煮のルーツを辿れば、

> 小魚を煮る(佃煮風)料理法は素朴なものですし、昔からあったのでしょうね。
と、琵琶湖オオナマズさんが返信で答えておられるのが実際であろうと、ぼくも思います。
クギニ=釘煮という言葉を、兵庫県明石周辺でいつ頃使い始めたのかというのは、

> 1960年代頃になって、神戸市垂水漁協の組合長により、「くぎ煮」
> (出来上がりが「さびた古釘」のよう)と名付けられました。

ということも有力でしょう。
料理や加工品の名称というのは、なかなか「いつ」とは決めきれないのだと思いますが、ぼくの仮説は、こうです。ちょっと面白そうな話しなので、いつもながら長たらしくなってしまいました。
  1. 明石浦や鹿瀬(しかのせ)漁場の優れて高い資源力によって春先イカナゴの新子が出現し、それに適合した漁法が昔から工夫されてきた。
  2. 和漢三才図会等にある「春分時摂州一の谷に取れ始め、立夏に播州明石浦鹿瀬で盛んに取れ、夏至前後に讃州八島に移行していく」に見られる記述は、江戸時代から鹿瀬漁場の特長を書き記している。
  3. それとともに、一時期に大漁に水揚げされるシンコの処理には常に頭を悩ませていて、生食など食用に向けられるのは地元のわずかの消費のみで、鯨油や鰯油の代替材料として魚脂を抽出して燈油用に使われたり、塩漬け発酵ののち魚醤としてイカナゴしょう油の
    存在は、香川や兵庫地区の特産品として中世以前にまで遡れるそうです。明治28年大日本水産会編『日本水産製品誌』では「いかなごしょう油」の製法が記されているが、釜揚げやしょう油煮の記載などない。
  4. 江戸時代の諸国名産品一覧の記述には、上記の三才図会や毛吹草をみると、明石名産「いかなご(玉筋魚)」「「カマスコ(ゴ)」」の記載があり、けっこう全国に知られた名産品であったようだ。
  5. 料理本をしらべてみると、日本料理界のドンといわれた魚谷常吉の『滋味風土記』昭和10年刊に、たいへん興味ある記述をみつけた。諸国名物郷土料理を料理人としての知見を交えて紹介したエッセイであるが、そのなかに『玉筋魚釘煎り(いかなごくぎいり)』が1頁にわたって記載されている。イカナゴの特性や、いちばんうまい春先のシンコを評し、塩茹でのあと2杯酢でいただくのがすきだがとして、続けて「しかし、わたしは初夏のころイカナゴが大きくなってから釘煎りにしたものは、イカナゴ料理の中ではもっともうまいいものある。…〔中略〕…私は飴煮もけっこうであるが釘煎りを賞味したい。…製法は、…要はイカナゴの生きたのを選ぶだけである。」と書いている。そして、この生きたイカナゴは「明石の垂水魚市場へたのめば送ってくれる。決して商人に頼まず、漁夫の手製のものを求めるようにせねば、……本当の釘煎りはえられない。」
  6. ここで、日本料理に「釘煎り」という料理法があったことが推測される。どなたか、日本料理の辞典や古文献など持っておられる方がいれば調べてみて下さい。この魚谷の文章のほかにも、鮮度のよい小魚の若魚を山椒や木の芽、ショウガをアクセントに佃煮状に料理する手法を「釘煎り」と称した事例が発見されるはずである。
  7. そして、この文章から興味あるじじつは「漁夫の手製」の加工
    品の存在も推測されはしないだろうか。
  8. つまり、もともと、特産品の明石のイカナゴの加工品に漁夫の手作り食品があったわけであり、冒頭のクギ状から「釘煮」を偶然によぶようになったか、あるいは関西人の料理情報の交流によってすでに「釘煎り」のよびなはそうとうに普及していて、いつしか「煎り」の関西料理用語を一般化した「釘煮」に変わっていったのではないだろうか。
  9. ここで、「釘煮」の起源探索とは関係なく、ぼくが明石の漁協婦人部のリーダーから聞いた話を紹介しておくことにしよう。それは、大要次のような内容である。
  10. 「釘煮がこんなに全国のひとに知られるようになるまでは、明石の地元や周辺のひとが季節に楽しみにして待っているぐらいでした。それでも、マチの人から、こんなにおいしいものどうやって作るのと、よく聞かれるので、生協や農協の婦人部の会合に呼ばれて、その作り方をおしえたんです。それが、やがて、神戸市のそとにひろがり、県外にもいくようになり、東北の婦人部の人たちとの交流もありました。かれこれ、これが15年くらい続いたんです〔ぼくの取材時3年ほど前―MANA注〕。1回の講習会も200人、300人、400人の規模の大きな会もけっこうあります。私たちが順繰りにそれを依頼のあった会に出掛けて教えていったわけです。こんなことが全国の皆さんの家庭の中から広がっていったんですね。
     それと、もうひとつ、全国普及のための大きな要因は、郵便局のふるさと便と宅急便が便利になったことがあるのだと思います。とくに、クロネコヤマトの場合は、このシーズン用に釘煮専用のシールまで作ってくれました。ヤマトさんからすると、釘煮を地方に送ると必ずそのお返しに野菜や米やその地方の特産品を送り主に送り返してくるんですね。何か、“ノコギリ商法”と呼ぶらしいですが、行き便と帰り便が空きがなくなるというのは、ヤマトさんにもメリットが大きいので一生懸命にPRなどにも協力してくれました。
     こうして、本当に魚価がとても安かったシンコの値段が安定していくようになり、今では漁師がわからの指値が利くようになるまで売り手市場が作られていったのです。ほんとうに、私たちの活動を続けてきてよかったなあと思います。」(2000年漁業青年女性活動発表大会―兵庫大会報告メモより)
  11. 「昔は、今よりずっと魚の密度が高かった」というはなしが出ていましたが、婦人部の釘煮の普及活動によって需要が造成されたという要因と、もうひとつは、地元組合のなんとかイカナゴの値段が出るようにと漁師の男シュウたちや資源管理や資源研究者達のたゆまぬ努力も忘れることはできないでしょう。
  12. 全国の伝統料理や魚食普及の歴史の中でも、イカナゴのクギ煮はスーパー大成功の商品でした。昔の江戸前の魚たちとその加工品や、三河の海産品など全国に名をとどろかせた加工品の存在は、日本でも有数の豊かな資源力を抱えていた漁場があったればこそでした。クギ煮を生み出す明石浦地先にひろがる鹿瀬漁場こそがドル箱商品を生んだということになります。
紫苑 2003.01.24 『聞き書き 兵庫の食事』の淡路のページには、くぎ煮が掲載されていました。

『聞き書 兵庫の食事』 淡路のページより抜粋
  • 醤油2合に砂糖100匁・水あめ5勺を加えて煮立ったところに、活きの良いいかなごの新子500匁をぱらぱらといれて強火で煮込む。底が焦げ付かないよう、なべを持ち上げてときどきさびき(ゆさぶり)ながら、汁がなくなるまで煮込む。
    水を入れないこと、杓子でかき混ぜないことがこつである。
    いかなごがくぎのように曲がって固まるので、くぎ煮という。土しょうがを千切りにし、かくし味に入れる。
以下は、中国新聞より抜粋です。(著作権法の問題がありますので、最初だけ転載します。全文は、下記URLをご覧下さい。=家辺注)
 http://www.chugoku-np.co.jp/setouti/seto/1/970116.htm
 「港に揚がってから二時間以内でないと味が落ちる。作られる地域が限られるから珍しく、人に送っても喜ばれる」。港そばの林崎漁協の企画担当、鷲尾圭司さん(44)はくぎ煮を名物に育てた一人でもある。」(以下略)

イカナゴの巻き寿司・『聞き書き 兵庫の食事』 長濱家四季の料理のいろいろより抜粋
  • 4寸以上の大きな3年物のイカナゴで卵を腹にいっぱい持っているものを使用
    蒸したイカナゴを七輪で焼き、砂糖と醤油で照り焼きしたのと、甘からく炊いた高野豆腐、しいたけ、塩湯でした青菜などを芯にして海苔巻きを作る。
    昼など家族だけのときは、イカナゴの照り焼きとちくわ あるいはイカナゴの照り焼きと香々(たくわん)のみじん切りを入れた巻き寿司をよくつくる。
でもルーツってむつかしいですよね。
波平 2003.01.24 MANAのレポート凄い! 大変勉強になります。
で、遊び人から一言、
イカナゴの頃、沖へ出ますとね、三隻一組のパッチ網漁の漁船が、縦横無尽にパッチを引き回してます。
網の形がパッチに似ているらしいですな。
この漁の様子を沖で見るだけでも結構オモロイでっせ。

二隻が左右に分かれて、ビルデングを丸ごと抱え込むほどの大きな網を引っ張る。
その二隻の間に他の船が入り込まないように、もう1隻が警戒に付く。
わたしら、プレジャーボートが目の敵みたい。近づくと血相変えて追い立てにやって来る。
30分か1時間ほど網を引いて、揚げて、警戒船に捕れたイカナゴ積むと、警戒船は運搬船に早変わりして、全速力で荷揚げ場へ向かう。必死に走る。全速力で突っ走る。
そのような船かこちらへ向かってくるのに気づいたら、何はともあれ進路を空けねばなりません。
一直線にしゃにむに突っ走ってくるから。

イカナゴはですね、一にも二にも、鮮度が勝負なんです。
網を入れて、最初に入ったイカナゴは30分から1時間の間、死んだまま網に引かれている。
それを運搬船(警戒船)に積み変えるのが30分。そして、荷揚げ場までが約30分。
競りがあって、買い手が決まって、魚屋で売り出すまでがどう急いでも約1時間。
ここまででもう2時間半。鮮度維持のほぼ限界です。
ここから先30分以内に、鍋に入れて煮ると、特上の釘煮ができる。
さらに30分遅れると、すこし臭みが出る。だから味付けを濃くする。
さらに1時間も遅れると、そうです、みなさんご存知の釘煮の味になる。

どうです! 本当の釘煮を食いたくはありませんか?
めっちゃ美味いでっせ!
あぁ、残念! オイラのオッカァは歳食って、もう役に立たんようになってしもうた。
MANA・なかじま 2003.01.24 そうそう。鷲尾さんもクギ煮の普及に貢献をした大の功労者なんです。
ぼくは一度しかお会いしたことないけど、研究室にとどまらないで、仕事場を漁協の現場においてその視点から、いろんな発言されました。
彼の、ギョギョ図鑑の魚を真正面から捉える視点、刺激を受けました。
MANA・なかじま 2003.01.24 ナミヘイさんの海の男の視点のほうがすごいです。
洋上の漁船の行動、こんなにもすごい観察レポート見たことない。
それにしても、食べたくなってきた。
ぼくの女房の従兄弟のお母さんが神戸に住んでいて、毎年季節になるとクギ煮を送ってくれまし
た。そのお母さん、震災後東京の息子のところに住んで、今は送ってくれる人もいなくなりましたのです。
いま、サライMOOK『旬の野菜と魚』1992年版の『いかなご』のたくさんのカラー写真を見ながら、ナミヘイさんの描いたバッチ網漁の取材申し込みしたくなりました。
それと、昔からイカナゴ漁のなかでもっとも不思議な鳥つき漁(アビという海鳥とマダイとイカナゴの魚群の追いかけっこ、ダマし合いの世にも不思議な漁)、今でもやっている人いるのかなあ。
ぼくが死ぬまでに一度見てみたい、超レアものの漁法のひとつなんです。
琵琶湖オオナマズ 2003.01.24 > イカナゴはですね、一にも二にも、鮮度が勝負なんです。
> 網を入れて、最初に入ったイカナゴは30分から1時間の間、死んだまま網に引かれている。
> それを運搬船(警戒船)に積み変えるのが30分。そして、荷揚げ場までが約30分。
> 競りがあって、買い手が決まって、魚屋で売り出すまでがどう急いでも約1時間。
> ここまででもう2時間半。鮮度維持のほぼ限界です。
> ここから先30分以内に、鍋に入れて煮ると、特上の釘煮ができる。
> さらに30分遅れると、すこし臭みが出る。だから味付けを濃くする。
> さらに1時間も遅れると、そうです、みなさんご存知の釘煮の味になる。

このへんの話を聞いていると、京都で生の新子を売るというのは、不遜な企てのように思えて来ました。(^_^;)
でも、けっこう鮮度の良いイカナゴが来てるんですよ。

神戸・明石方面から京都に嫁いできたという人はけっこうおられて、こういう人達は生協が生新子を売り出すのを、首を長くして待っておられます。
京都ではとても釘煮は炊けないと思ってた、炊けて嬉しいとおっしゃる組合員さんが多いです。
最近は、京都でも、生協以外のお店も生新子を売ってますが、前日入荷したのを売ったりしてるところもあります。
イカナゴという魚が分かっていないのです。
その点、うちでは初めからそういう点は押さえてきてますから、安心して買っていただけます。

> 本当の釘煮を食いたくはありませんか? > めっちゃ美味いでっせ!
食べたいですよ。
それに、運搬船が突進してくるのも見てみたいものです。
琵琶湖オオナマズ 2003.01.25 先日、メールを下さった方に、「いかなご釘煮のルーツは?」のスレッドを紹介したところ、見てくださり、下記のご意見を頂きました。
  • 拝読させていただきました。
    イカナゴの季節を目前にして、素晴らしい。
    昭和10年刊の『滋味風土記』の記述は興味深い。
    イカナゴのフルセの料理と思われるが、『釘』が使われて『煎り』なっている。これがシンコになっていくと『釘煮』に転じていくように思います。
    小さなシンコを崩さず『煮る』が、技術的に大発明。
    さて明日、須磨の第三福丸よりメバル釣りに出ます。
    船宿の話ですとギジ餌(サビキ)で食ってくるとのこと。
    (7号程度の針に1センチくらいの小さい光るギジをつけ、柔らかい竿で底からゆっくり5メーターくらい上げてくる。)
    いよいよイカナゴの産卵が海底で始まったようです。



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