いかなご釘煮のルーツは?
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琵琶湖オオナマズ | 2003.01.21 | カマスゴの話がつづいていますが、ちょうど今頃、イカナゴが産卵するのですよね。 これがだんだん大きくなって、あとひと月ほどすれば、新子が出始めます。 釘煮の季節がきますよ、魚の棚は大繁盛ですよね。 ところで、「イカナゴ釘煮」のルーツはどこなんでしょうね。 神戸・明石方面の方、どなたかご存じの方はおられませんでしょうか。 |
まっちゃんです(^^ゞ | 2003.01.22 | > これがだんだん大きくなって、あとひと月ほどすれば、新子が出始めます。 もうそんな時期かぁ〜 、なんかせわしいのぉ〜。 ぼくらより一足先に和歌山のゆうなぎさんトコでは、もぉはじまるとちゃうかなぁ〜(^^ゞ > 釘煮の季節がきますよ、魚の棚は大繁盛ですよね。 う〜〜〜〜確かに以前は(^_^;) ブームはますます大きくなってるんやけんどぉ、最近はスーパーを始め、あっちこっで積極的に売るようになってきてるから、わざわざ魚の棚に来られる人も少なくなってきてるんよぉ〜。 京都でも売ってるしねっ!←あっ!これ嫌みとちゃうよぉ〜/笑o(^ε^)o 最初は、みんなしらん顔してたのに〜〜〜 > 神戸・明石方面の方、どなたかご存じの方はおられませんでしょうか。 もともとは垂水・須磨あの辺りの人だけが炊いてたん。 ほんま一部の人だけのモンやったんよぉ〜。 だから明石浦なんかでは権利を放棄した漁師さんもいるんよぉ〜、今じゃ考えられへんよなぁ〜。 なんとかならないかと明石浦漁協の婦人部なんかもけっこう普及活動したとか ........................ 大成功やねっ!(^^ゞ 魚の棚でも炊き方講習会をやってもらいました(^^ゞ |
紫苑 | 2003.01.22 | >ところで、「イカナゴ釘煮」のルーツはどこなんでしょうね。 >神戸・明石方面の方、どなたかご存じの方はおられませんでしょうか。 前にこういうHPをみたことがありますが・・・ ........................ 1935年、神戸市垂水区塩屋町の「魚友」松本信子に、ジェームス山の別荘地に住んでいたお客様より 「いかなご を佃煮にしてくれないか」 と依頼されました。 そこで醤油・砂糖(キザラ)・生姜を使用して、試行錯誤のうえ炊き上げました。 その後その住人が近所の方々に配るなどするうちに評判になり、「魚友」の店頭にも置くようになりました。 それまでは、「いかなご」といえば「釜揚げ」と、それを天日干した「かなぎちりめん」がほとんどでした。 1960年代頃になって、神戸市垂水漁協の組合長により「くぎ煮」 (出来上がりが「さびた古釘」のよう)と名付けられました。 それとともに、神戸市垂水区の各家庭でも炊くようになり、盛んになってきました。いまでは、関西の春の風物詩のひとつに挙げられるようになりました。 (神戸新聞2000.2.8 婦人神戸1999.4.15 広報神戸1999.3他より) ........................ ここまでがHPの内容 昔のいかなご漁のときは、船になべとコンロを積み込んで、大なべにしょうゆを入れ沸騰させ、獲れたてのいかなごを入れて食べる(しょうゆ煮) 『聞き書き 兵庫の食事』と言う本の瀬戸内沿岸《明石》の食に、醤油煮は載ってました。 これがもと《ルーツ》かなぁとおもってたのですが・・・裏づけが取れない・・・ 余談ながら、あといかなご料理は いかなごのぬた いかなごの巻き寿司とかもあるようです。 |
ふじた@神戸垂水 | 2003.01.22 | >最近はスーパーを始め、あっちこっで積極的に売るようになってきてるから、 >わざわざ魚の棚に来られる人も少なくなってきてるんよぉ〜 垂水のスーパーJは、去年の冷凍モノの在庫セールやっていますよ。 「くぎ煮のたれ」もセールしてました。 垂水ではJをはじめ、D、Cも3月になるといかなご一色になります。 はやくも「いかなごGO!GO!」という”いかなごソング”が流れています。 >もともとは垂水・須磨あの辺りの人だけが炊いてたん。 >ほんま一部の人だけのモンやったんよぉ〜 と、私もそうだと聞いたことあります。 垂水区役所のサイトでも、「いかなごくぎ煮発祥」と書かれています。 シンコ解禁の頃、祭事も行われます。ちなみに去年は、
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まっちゃん | 2003.01.22 | ちょっとお願い、許可願い! > 1935年、神戸市垂水区塩屋町の「魚友」松本信子に、ジェームス山の別荘地に ★中省略★ > ひとつに挙げられるようになりました。 > (神戸新聞2000.2.8 婦人神戸1999.4.15 広報神戸1999.3他より) この部分、ぼくのHPから紹介させてくれへん? 許可がおりてからアップするから、連絡して〜〜 |
琵琶湖オオナマズ | 2003.01.23 | > ぼくらより一足先に和歌山のゆうなぎさんトコでは、もぉはじまるとちゃうかなぁ〜 そうですね、紀州は先に始まるし・・・ゆうなぎさんも出てきてくださいよ。 淡路の南のほうも、早く始まるんでしたよね。 > 最近はスーパーを始め、あっちこっで積極的に売るようになってきてるから、 > わざわざ魚の棚に来られる人も少なくなってきてるんよぉ〜 僕は、10年以上前に、魚の棚に行って勉強したんですよ。 あのフィーバーはスゴイと思った。 > 京都でも売ってるしねっ!←あっ!これ嫌みとちゃうよぉ〜/笑o(^ε^)o (^_^)v > もともとは垂水・須磨あの辺りの人だけが炊いてたん。 > ほんま一部の人だけのモンやったんよぉ〜 そうやねー、僕がバイヤーになったときは、京都には釘煮の製品が細々と入っていたという感じで、まだそんなに売れてなかった。 コープこうべの商品部に行って、新子の生だけで1億円売れるという話を聞いて、こりゃ京都でも売らんとあかんとおもたんですよ。そのあとです、魚の棚を見に行ったのは。 > だから明石浦なんかでは権利を放棄した漁師さんもいるんよぉ〜 > 今じゃ考えられへんよなぁ〜 そうなんか・・・今から思うと、もったいない話や。 |
琵琶湖オオナマズ | 2003.01.23 | > そこで醤油・砂糖(キザラ)・生姜を使用して、試行錯誤のうえ炊き上げました。 > その後その住人が近所の方々に配るなどするうちに評判になり、 > 「魚友」の店頭にも置くようになりました。 ありがとうございます、この情報は初めてですよ。 具体的な話で、信憑性が高いですね。 > それまでは、「いかなご」といえば「釜揚げ」と、> それを天日干した「かなぎちりめん」がほとんどでした。 そうですね。 > 1960年代頃になって、神戸市垂水漁協の組合長により、 「くぎ煮」 (出来上がりが「さびた > 古釘」のよう)と名付けられました。 ははーー、そうなんですか。 > それとともに、神戸市垂水区の各家庭でも炊くようになり、盛んになってきました。 > いまでは、関西の春の風物詩のひとつに挙げられるようになりました。 京都で爆発的に売れ出したのは、ここ4年〜5年前からですね。 > 昔のいかなご漁のときは、船になべとコンロを積み込んで、大なべにしょうゆを入れ沸騰させ > 獲れたてのいかなごを入れて食べる(しょうゆ煮) > 『聞き書き 兵庫の食事』と言う本の瀬戸内沿岸《明石》の食に、醤油煮は載ってました。 そういう漁師料理はあったでしょうね。 > あと、いかなご料理は いかなごのぬた いかなごの巻き寿司とかもあるようです。 そういうのは、市販されているのでしょうか。 |
琵琶湖オオナマズ | 2003.01.23 | 神戸の方が、私の書いたイカナゴのページを見てくださり、下記のようなメールを下さいましたのでご紹介致します。(ご本人に許可を頂いています。) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− もともとは、垂水・須磨近辺の一部の人だけのものだったというのが真実のようです。 江戸時代、明治時代、戦前かと思いをはせていますが、小生も 『聞き書き 兵庫の食事』の瀬戸内沿岸《明石》の食に、「醤油煮」を見つけました。『釘煮』という名称ではありません。 1887年(明治20年)の『兵庫県漁業慣行録』や平成6年4月発行の『垂水百年の歩み』に、1923年の『垂水誌』の記事にイカナゴ漁のことは載っていますが、『釘煮』はありません。 今度、神戸大学農学部の保田茂教授にも聞こうと思っています。 ところで1923年の『垂水誌』に、「・・・イカナゴは、近年垂水村の漁獲物の中で最も重要なもののひとつで、漁獲高は各部落ともにほとんど数千円に達している。漁業は引き瀬網で、魚は潮流に乗って流れ込むので、ほとんど手数は要らない。そのため、この網を一名道楽網という」と、面白い記事がありました。 当時は、陸からイカナゴが取れたのですね。今のたて網でしょうか? 垂水では、戦前より祭りに欠かすことのない「イカナゴ巻きすし」があった。 ふるせと新子の釜揚げを、海苔巻きするのだそうです。 また、釘煮とはいわなかったようですが、醤油・砂糖・生姜で煮込んだ漁師の保存食があったようです。 8年前の震災の後、各地からの見舞いに対して、そのお礼に『イカナゴの釘煮』を送った人も多く、急激に普及したと郵便局の人が言っていました。 今では垂水郵便局でイカナゴの釘煮を『ふるさと小包』として送ってくれます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 以上です。 |
波平 | 2003.01.24 | わたし、垂水・ジェームス山に住んでました。 毎年、イカナゴの季節になると、母がハッスルして釘煮作りに精出しておりました。 あれって意外と体力が必要なようです。 煮る途中で幾度も鍋ごと持って具をゆすり・ひっくり返します。 なにせ箸を入れたら味が変わるらしい。 その母ですけど、90過ぎて鍋が振り回せなくなってしもうた。 わたし最近母の釘煮が恋しゅうてならん。 彼女、我が家のすぐ近くの老人ホームでボヤ〜と余生送ってます。 あぁあ、なんか切ないですなぁ〜、 |
琵琶湖オオナマズ | 2003.01.24 | お母さん、お元気で長生きされるといいですね。 > 毎年、イカナゴの季節になると、母がハッスルして釘煮作りに精出しておりました。 ところで、いつ頃から釘煮をつくっておられたのか、記憶にございますでしょうか。 > その母ですけど、90過ぎて鍋が振り回せなくなってしもうた。 > わたし、最近母の釘煮が恋しゅうてならん。 その技術は、波平さんが継承しないと・・・・・ |
琵琶湖オオナマズ | 2003.01.24 | > 神戸の方が、私の書いたイカナゴのページを見てくださり、下記のようなメール > を下さいましたのでご紹介致します。(ご本人に許可を頂いています。) > −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− > もともとは、垂水・須磨近辺の一部の人だけのものだったというのが真実のようです。 > (以下略) これに対して、私が下記のような返事を書いています。 MLのほうの流れと関連しますので、MLに送ります。 −−−−−−−−−−−−ここから−−−−−−−−−−− > 江戸時代、明治時代、戦前かと思いをはせていますが、小生も 『聞き書き 兵庫の食事』 > の瀬戸内沿岸《明石》の食に、「醤油煮」を見つけました。 > 『釘煮』という名称ではありません。 小魚を煮る(佃煮風)料理法は素朴なものですし、昔からあったのでしょうね。 今の形にいつからなったのかというのは、なかなか判断が難しいのではないでしょうか。 > 漁業は引き瀬網で、魚は潮流に乗って流れ込むので、ほとんど手数は要らない。 > そのため、この網を一名道楽網という」と面白い記事がありました。 > 当時は、陸からイカナゴが取れたのですね。今のたて網でしょうか? 昔は、今よりずっと魚の密度が高かったでしょうから、そういう事があったとしてもおかしくないと思います。 > 8年前の震災の後、各地からの見舞いに対して、そのお礼に『イカナゴの釘煮』を送った人も > 多く、急激に普及したと郵便局の人が言っていました。 私は、震災の3年前に明石浦漁協に行き、生新子の京都への直送の話をまとめ、その年から直送を始めました。 2年ほどはロスばっかりで、3年目になってちょっと売れるようになり、今年からはそこそこいけるかなと思っていたところで震災がおこったのです。 あの震災で道路が破壊されたため、2年間は新子の直送ができませんでした。 3年目から再開したのですが、4年目ぐらいから軌道に乗り、一昨年あたりから京都でも爆発的に売れるようになりました。 −−−−−−−−−−−−ここまで−−−−−−−−−−− |
MANA・なかじま | 2003.01.24 | ●返信―その1 釘煮のルーツを辿れば、 > 小魚を煮る(佃煮風)料理法は素朴なものですし、昔からあったのでしょうね。 と、琵琶湖オオナマズさんが返信で答えておられるのが実際であろうと、ぼくも思います。 クギニ=釘煮という言葉を、兵庫県明石周辺でいつ頃使い始めたのかというのは、 > 1960年代頃になって、神戸市垂水漁協の組合長により、「くぎ煮」 > (出来上がりが「さびた古釘」のよう)と名付けられました。 ということも有力でしょう。 料理や加工品の名称というのは、なかなか「いつ」とは決めきれないのだと思いますが、ぼくの仮説は、こうです。ちょっと面白そうな話しなので、いつもながら長たらしくなってしまいました。
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紫苑 | 2003.01.24 | 『聞き書き 兵庫の食事』の淡路のページには、くぎ煮が掲載されていました。 『聞き書 兵庫の食事』 淡路のページより抜粋
http://www.chugoku-np.co.jp/setouti/seto/1/970116.htm 「港に揚がってから二時間以内でないと味が落ちる。作られる地域が限られるから珍しく、人に送っても喜ばれる」。港そばの林崎漁協の企画担当、鷲尾圭司さん(44)はくぎ煮を名物に育てた一人でもある。」(以下略) イカナゴの巻き寿司・『聞き書き 兵庫の食事』 長濱家四季の料理のいろいろより抜粋
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波平 | 2003.01.24 | MANAのレポート凄い! 大変勉強になります。 で、遊び人から一言、 イカナゴの頃、沖へ出ますとね、三隻一組のパッチ網漁の漁船が、縦横無尽にパッチを引き回してます。 網の形がパッチに似ているらしいですな。 この漁の様子を沖で見るだけでも結構オモロイでっせ。 二隻が左右に分かれて、ビルデングを丸ごと抱え込むほどの大きな網を引っ張る。 その二隻の間に他の船が入り込まないように、もう1隻が警戒に付く。 わたしら、プレジャーボートが目の敵みたい。近づくと血相変えて追い立てにやって来る。 30分か1時間ほど網を引いて、揚げて、警戒船に捕れたイカナゴ積むと、警戒船は運搬船に早変わりして、全速力で荷揚げ場へ向かう。必死に走る。全速力で突っ走る。 そのような船かこちらへ向かってくるのに気づいたら、何はともあれ進路を空けねばなりません。 一直線にしゃにむに突っ走ってくるから。 イカナゴはですね、一にも二にも、鮮度が勝負なんです。 網を入れて、最初に入ったイカナゴは30分から1時間の間、死んだまま網に引かれている。 それを運搬船(警戒船)に積み変えるのが30分。そして、荷揚げ場までが約30分。 競りがあって、買い手が決まって、魚屋で売り出すまでがどう急いでも約1時間。 ここまででもう2時間半。鮮度維持のほぼ限界です。 ここから先30分以内に、鍋に入れて煮ると、特上の釘煮ができる。 さらに30分遅れると、すこし臭みが出る。だから味付けを濃くする。 さらに1時間も遅れると、そうです、みなさんご存知の釘煮の味になる。 どうです! 本当の釘煮を食いたくはありませんか? めっちゃ美味いでっせ! あぁ、残念! オイラのオッカァは歳食って、もう役に立たんようになってしもうた。 |
MANA・なかじま | 2003.01.24 | そうそう。鷲尾さんもクギ煮の普及に貢献をした大の功労者なんです。 ぼくは一度しかお会いしたことないけど、研究室にとどまらないで、仕事場を漁協の現場においてその視点から、いろんな発言されました。 彼の、ギョギョ図鑑の魚を真正面から捉える視点、刺激を受けました。 |
MANA・なかじま | 2003.01.24 | ナミヘイさんの海の男の視点のほうがすごいです。 洋上の漁船の行動、こんなにもすごい観察レポート見たことない。 それにしても、食べたくなってきた。 ぼくの女房の従兄弟のお母さんが神戸に住んでいて、毎年季節になるとクギ煮を送ってくれまし た。そのお母さん、震災後東京の息子のところに住んで、今は送ってくれる人もいなくなりましたのです。 いま、サライMOOK『旬の野菜と魚』1992年版の『いかなご』のたくさんのカラー写真を見ながら、ナミヘイさんの描いたバッチ網漁の取材申し込みしたくなりました。 それと、昔からイカナゴ漁のなかでもっとも不思議な鳥つき漁(アビという海鳥とマダイとイカナゴの魚群の追いかけっこ、ダマし合いの世にも不思議な漁)、今でもやっている人いるのかなあ。 ぼくが死ぬまでに一度見てみたい、超レアものの漁法のひとつなんです。 |
琵琶湖オオナマズ | 2003.01.24 | > イカナゴはですね、一にも二にも、鮮度が勝負なんです。 > 網を入れて、最初に入ったイカナゴは30分から1時間の間、死んだまま網に引かれている。 > それを運搬船(警戒船)に積み変えるのが30分。そして、荷揚げ場までが約30分。 > 競りがあって、買い手が決まって、魚屋で売り出すまでがどう急いでも約1時間。 > ここまででもう2時間半。鮮度維持のほぼ限界です。 > ここから先30分以内に、鍋に入れて煮ると、特上の釘煮ができる。 > さらに30分遅れると、すこし臭みが出る。だから味付けを濃くする。 > さらに1時間も遅れると、そうです、みなさんご存知の釘煮の味になる。 このへんの話を聞いていると、京都で生の新子を売るというのは、不遜な企てのように思えて来ました。(^_^;) でも、けっこう鮮度の良いイカナゴが来てるんですよ。 神戸・明石方面から京都に嫁いできたという人はけっこうおられて、こういう人達は生協が生新子を売り出すのを、首を長くして待っておられます。 京都ではとても釘煮は炊けないと思ってた、炊けて嬉しいとおっしゃる組合員さんが多いです。 最近は、京都でも、生協以外のお店も生新子を売ってますが、前日入荷したのを売ったりしてるところもあります。 イカナゴという魚が分かっていないのです。 その点、うちでは初めからそういう点は押さえてきてますから、安心して買っていただけます。 > 本当の釘煮を食いたくはありませんか? > めっちゃ美味いでっせ! 食べたいですよ。 それに、運搬船が突進してくるのも見てみたいものです。 |
琵琶湖オオナマズ | 2003.01.25 | 先日、メールを下さった方に、「いかなご釘煮のルーツは?」のスレッドを紹介したところ、見てくださり、下記のご意見を頂きました。
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