おきうとに関する思いこみ

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隠岐のなかがみ 2003.07.26 ところてんは、心太と書きます。これは、「こごる、ぶとぐさ」から来ていると聞きました。
「こごる」は、煮こごりとか凍るとかと言う言葉で残っています。
「ぶとぐさ」はテングサの古い言葉だと聞きました。
そして、「おきうと」の「うと」の部分が、「ぶとくさ」の「ぶと」に非常に似ているので、古い時代「おきぶと」とかいう風に発音していたのではないかと、勝手に思いこんでいます。言葉の通説に逆らってヒンシュクをかいそうですが、どこかに証拠は残っていないでしょうか?
ところてんとおきうとがそんなに変わらないと書いてしまって、少し後悔しているなかがみでした。
琵琶湖オオナマズ 2003.07.27 なっとくできる説だと思います。
なみへ〜@愛媛 2003.07.27 学生の時(劣等生でしたが)、日本語史も少しばかりかじりました。
音の変化から見ると、「おきぶと」から「おきうと」「おきうど」への音の転換は難しいような
気がします。が、「おきふと」→「おきうと」なら、比較的考えやすいです。
どなたかが以前、この漢字を「浮太」とあててらっしゃったような記憶がありますが、関係ありますでしょうか?
各種サイトでは、「沖のウド」説、「沖の人(が教えた)」説、「お救人」説にしぼられているようですね。「沖」は、実は「隠岐」?
隠岐のなかがみ 2003.07.27 > 各種サイトでは、「沖のウド」説、「沖の人(が教えた)」説、
> 「お救人」説にしぼられているようですね。「沖」は、実は「隠岐」?

「沖」は、実は「隠岐」ではないと思いますが、「浮太」の記憶が私にないので、確実に私は、なみへ〜さんより「劣等生」です。
が、私の普段使っている言葉からすると、上記の音の変換は全く難しいとは思えません。
隠岐には「すまる」という漁師の使う道具があります。これは津軽から伝えられた言葉で
もとは「しばり」です。海の中のロープなどを引っかけてあげるのに使うロープを縛って
投げ込む道具です。「しばりアンカー」とも言うようです。この変化が、日本語史でいう
音の変化で当然のことなら、「おきぶと(うきぶとでも可)」説は引っ込めます。
なみへ〜@愛媛で 2003.07.28 > 隠岐には「すまる」という漁師の使う道具があります。これは津軽から伝えられた言
> 葉でもとは「しばり」です。

「す」と「し」については、東北の方では音が逆転して、「わたしが」→「わたすが」となったりしてますよね?
「ま」と「ば」については、[m]も[b]も両方とも、上下の唇を使って調音する「両唇音」と呼ばれています。
ちょっと例が思いつかないのですが、両唇音で、かつ有声の2音が転換するのは、十分に考えられる現象です。
ですから、「しばる」「しばり」→「すまる」は音韻学的に説明のつくことではあるのですが・・・
でも、あの、よければ「おきぶと」説も面白いと思います、引っ込めないでくださいませ!
 *なお、筆記の際に濁点を書かない事、昔は多かったようですし、
 *秋田の方では、清音の発音が濁音になると聞きます。
 *証拠として残る可能性があれば「おきふと」かなあ
 *などと思ったものですから・・・。

いつの時代を想定するかで変わるでしょうが、日本語の昔の実際の発音については、ポルトガル人宣教師等が残した「日葡辞書」や「イソップ物語」などからのローマ字表記、また、万葉集や古事記等の万葉仮名遣い等を参考に研究されているようです。
もしご興味ありましたら、橋本進吉先生の「古代国語の音韻について」「国語音韻の変遷」などをご一読ください。
 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person61.html
 *今はこうしてネットで読めるからスゴイ!
隠岐の中上 2003.07.28 ご厚意に甘えて引っ込めないでおきます^^;;
MANA 2003.08.01 「おきゅうと」の語源について、参考までにぼくが福岡の鐘崎漁協で取材したときのメモを読みましたら、「をきうど漁業」や「おきうと草」という言葉が、共同漁業権の漁業行使の上で使われています。
同地区漁業史でも、「おきうど漁業」「おきうと」「おきうと草」と記されています。
語源は、すでに議論にある(1)「救人」説、(2)沖の独活(うど)などがあり、漁業史の中でもとくに目新しいものはかいてありませんでした。
それから、心太(ところてん←こころぶと)の「フト」がなぜ発音されるかになった理由について、ある説を紹介します。
●寒天原藻については、「凝海草」「凝藻」のように中国の本草書で示された海草の種名が記されています。この種の名前を古代の辞書などではどのように表記されていたのかというと、そのひとつが、源順「和名抄」ですが、古い漢字辞書には、「凝る」(koru、
kogoru)「藻(mo)」の意味に、「凝る」を、固まらせるの意味で「こる」とし、海草や藻を「もは」として「こるもは」あるいは、「凝る」を「ひ(冰)る(ゆ)」と発音して「ひゆもは」と読ませ
ています。
●さらに時代が下がった辞書や随筆集などには、「凝海藻」を日本の国の俗表記として「心太」が登場します。
●このとき、「凝」は「ここる」だから「心(こころ)」とし、「藻」についてはなぜ「太(ふと)」になったのか。
●「藻」については「ふと」の反が「ほ」であり、「ほ」を「も」に通じさせて発音としては、「こころも」とするという表現と、「こころふと」という2つの表現がされていたようなのです。
●「こるもは」という発音もありまして、これは、「凝るkoru」「藻葉moha」です。「葉」がどのような字で当てられていたかは知りませんが、「草」の部位表現だとおもいます。「ひるもは」という表現は「冰るhiru」に関係しているのだと思います。もともと、氷のkohoriや郡(グン、こおり)も「心:こころ」の「こ」も「凝」からきて、ニッポンゴの「ひる、ひゆ」と一体化して、「氷」の音「こおり」訓「ひ」が形作られてきました。
●ところでここに書いてある「反」とは「反切」(はんせつ)のことで、古代の漢字圏で使われてきた「発音記号」をあらわすことばです。
●「ふと」の反が「ほ」というのは、「FU」「TO」を、はじめの子音の「Fu」とあとの母音「O」をひっこぬくと、「FO」(ほ、ふぉ)と発音しますというきまりごとでした。
●つまり、このばあいでいえば、和名抄とかけっこう正式の記録では、「こごるほ」「こごるも」(凝藻)だったものが、反切の「ふと」の表記をそのまま読みこんでしまって、「ここるふと」「こころふと」「心太」が残ってしまったというものです。
●それから、もう議論されているのかもしれないけれど、「こころふと」が「こころてん」になり、「ところてん」に変化するところでは、江戸時代の俳諧の随筆集などでは、「太」を「天」(てん)と読んだり、「,」の部分だけ読んだなんていう草書体筆記の誤読、書き写しのなかでいつのまにかゴロの良さもあって「ところてん」が読みとして定着してしまったという説を読んだことがあります。川柳や狂歌などでは、文字遊びをしますから、柳樽や狂歌集などで「ところてん」を抜き出すとおもしろいかもしれません。こんどひまなとき、やっておきます。
貝原益軒の大和本草に載っていますので、「ふと」解釈のご参考にとおもい連絡致しました。
 http://www.manabook.jp/manajiten-memo.htm

のメモ集に原典を載せておきました。「ウケウト」という「おきゅうと」と思われる記述もあります。「凝る」については「コオリ」氷に関わる事などで、感心があるので、メールしました。これだという証拠にはまだ論拠が薄いですが、参考にしていただければ幸甚です。
隠岐の中上 2003.08.01 言葉の変遷は実におもしろいと思います、私が小さいときにあったことばが、もうすでに若い世代では、ものの存在とともに単語も消えてしまいそうなのもけっこうあります。
またいろいろ教えて下さい、ありがとうございます。



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