こんなん釣って来よった(しゅもくざめ)

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さんまや 2004.10.17 当家の老漁師、先日、船から下りる際、クーラーボックスを肩から掛けたまま跳んだときに、バランスを崩し、頭から転倒。
全治10日程の怪我をしましたが、懲りもせずまた、毎日釣りに出て、相変わらずクーラーボックスを持ったまま、船から飛び降りているそうです。
最近は昨年同様、太刀魚です。昨日は50匹程釣ってきましたが、今日は10匹程しか釣れなかったと戻ってきました。
その後で、釣仲間の一人が大物を持ってきました。
  http://www.sanmaya.com/hitorigoto/same.htm

釣り場は、和歌山市加太沖とのこと。
あがってくるまでは、めじろかと思いながら釣り上げたそうです。
波平さんにまた、写真の撮り方が悪いとお叱りが出そうですが、どなたか、名前と、食べ方がわかれば教えてください。
ゆりたろう 2004.10.18 ハンマーヘッドシャーク(和名:シュモクザメ)
ヒレでも干して、スープにしてください。
最近、そのあたりでよく釣れるようです。とにかく、瀬戸内でシーラが釣れるのですから。
白浪@舞鶴 2004.10.19 明治の頃までなら、高級魚のシュモクザメですねぇ。
サメやエイは、筋肉に含まれるアンモニアのおかげで腐りにくく、昔の京都では数少ない刺身で食べられる魚だったそうです。
その中でもシュモクザメは一番美味しいとのこと(^O^)
でも、私の経験では、なんかグニュグニュして旨くはないです(^^;)
名前の由来は英語は金槌、日本語の方は撞木っす。
たまに人を襲うこともあるんで、その昔、潜水中に鉢合わせしたときには、冷や汗モンでした(^ ^;)
MAYS 2004.10.19 >サメやエイは、筋肉に含まれるアンモニアのおかげで腐りにくく
この点に関して、かねてから疑問に思っていました。
韓国には、ホンオフェという、時間のたってアンモニアが鼻を突くようなエイの刺身?があります。当然ながら、日本人には辛いです。

サメとかエイとか軟骨魚類は尿素の排泄がよくないので、アンモニアが発生して、1ヶ月くらいもつ、とか言う話ですが、と、いうことは、昔内陸地方ではあのようなものを食べていたのでしょうか。
あれは、私のイメージでは刺身ではないのですが…
藤田 アルゼンチン 2004.10.19 >韓国には、ホンオフェという、時間のたってアンモニアが鼻を突くような
>エイの刺身?があります。当然ながら、日本人には辛いです。
ここから韓国向けに、エイがラウンドで輸出されています。
この韓国の料理はとんでもない料理らしいですね。

>と、いうことは、昔内陸地方ではあのようなものを食べて
>いたのでしょうか。あれは私のイメージでは刺身ではないのですが…
三陸からは北関東方面へは、生のブロックでサメが出荷されていました。
と云うことは、海の傍の人は食べず内陸の人が我慢をしつつたべていたの???
そして食文化が残った。
小員も同じ様な疑問があります。どなたか応えていただけませんか。
小谷@ruger 2004.10.19  この方面は興味は持っているのですが、まだ詳しく調べきれていないので、ちょっとした参考まで
 東北でも奥羽山脈の一帯ではサメ、エイが珍重されています。
理由はこれまで議論されているとおりアンモニアのため、と説明されています。
ただ、私が知る限り、刺身でも食べた、ということもあるようなのですが、それ以上に加工して食べたという話が多いような印象です。←あくまでも”印象”なので。
 サメの場合、宮城県鳴子町あたりで聞いたところでは、正月前に石巻方面から売りに来ていて、買った実は、串に刺して味噌を塗ってロバタでやき、正月のお膳に出す魚にした。ということ。
 山形ではエイを醤油味で煮たカラカイという料理があり、これは来客などに出す特別な料理とされていた。 
 というぐらいでしょうか。
 正月や来客といった特別なお客に出す魚料理ということのようです。
特に冬ですと川魚も少なくなりますし(雪で獲るのが大変)、そういう時に入手できる魚ということなのかな、と考えています。
  これから先は想像ですが、焼くにしても煮るにしても、保存性を考えればそれほど持たないので、生で日持ちをするエイ・サメが流通し、必要に応じて食べることができる食材、という位置づけだったのかな、と考えていました。
とりとめのない投稿ですが、参考まで。
MANA 2004.10.19 サメやエイは皆さんあんまりなじみがないようですが、東京でも、日々魚売り場に眼を向けているとスーパーや魚屋さんに、切り身や干し物ででてくるんですよ。
切り身になっちゃうと、何ザメだかわかんないですが、ピンク色っぽくて、どちらかといえばグニャっとした切り身ですが、マカジキの切り身より若干安い値段でサメ切り身として中野のライフに1ヵ月前ぐらいに出ていました。
ぼくは、最近では、あんまり食べませんが、30歳ぐらいまで育った埼玉県浦和の家でもお袋は、魚屋で売っていれば切り身を煮魚にして(醤油と砂糖の味は普通の煮魚より濃い目でした)食卓に出ました。煮こごりにもなったんじゃないかなあ。
サメは、日本各地で現在でも食べられているんですよ。
ぼくが出張や取材で実際に食べたものだけに限りますが、仙台で、刺し身(何の種類だかメモナシ。湯引きだったか?)でも食べました。
東京では、切り身煮魚、棒状の乾燥品(たぶんボウザメと称するネズミザメ)を戻したものの山菜との焚き合わせ、それに湯引きも食べました。
小笠原では、確かアオザメのヒト乾しを民宿で出してくれました。
サメの消費のバリエーションの多いのは三重(ここでは未体験)や関西、中国、九州です。京都の日本海岸では、1メートルぐらいのサメ(といっていました)を湯引きで知り合いの家で出してくれました。広島や松江でも湯引きを食べました。
中国山地の山間の魚屋さんでも、湯引きを皿に載せて売っていました。
とってもおもしろいのは、なんといっても福岡の鐘崎です。ここでは、ホシザメ(の仲間)を底引きで取ってきて、12月海岸に干します。これを「ノオサバ干し」といっています。
正月に水で戻して短冊状にして、煮魚状に漬け汁に浸して「鐘崎カズノコ」として食べます。ぼくも食べたことがありますが、けっこうおいしいですよ。
この「ノオサバ」という語源は、たどればとても古いものなのですが、沖縄でも、ぼくは直接確認していませんが、サメの仲間を「サバ」に近い音で発音する地区があるそうです。サバが魚偏に青と書くようになった、ずっと前(移入先の中国でも)には、鯖はサメの仲間をさしました。
まだ、仮説ですが、フカ・サメ・サバ・ハエには、古い時代魚名が出来上がるときのある共通した象徴事象があるように思えてなりません(これは蛇足)。
それから、長崎でも、サメは湯引きで旅館で注文すれば出してくれます(オオセという地方名もあったような気がしますが……)。
取材旅行に出かけたとき、できればホテルより駅前の古い旅館が良いですよ。
地元の郷土料理をかっこつけなしで出してくれます(もちろん、そんなものが食べたいなあという顔をしていればですが……)。
もう1つ、エイのことですが、アカエイのアマジョッパイ煮付けは、江戸前料理の一つなのです。夏の富津の簀立てに入ったものを煮て食べます。
それから、シュモクザメは、それとして食べたことがありませんが、確かに京都では、「サメナマス」として食べられました。
シュモクザメの特徴のあるハンマーヘッドの図柄の魚が、法隆寺の釈迦三尊像の台座の裏に墨で描かれているそうですし、古墳時代前の4世紀頃の大阪湾に面した遺跡で板にも描かれているそうです(これは、森浩一著「職の体験文化史」中央公論社の受け売り。)
大阪湾の沿岸近くに、シュモクザメが普通にいた時代があったのですね。
MANA 2004.10.19 前記小生記述のうち、
> 森浩一著「職の体験文化史」中央公論社の受け売り。)
は、訂正:正→「食の体験文化史」です。すみません。
PS:「食の体験文化史」2、及び3を含めて、古代史、考古学者・森浩一氏の毎日の食体験日記を、食べ物の食材別に、1年に何回食べたかだの、今月食べたものとかのデータが文末に記されていて、しかも短いエッセイの中に食の起源や、考古学や古代史が関係した食のことがらがわかりやすく出ていて、実におもしろい本でした。
ちなみに、3冊のなかでオサカナをテーマにしたタイトルは「サケ・シャケ」(1)、「サメとフカとワニ」(1)、「鮎と年魚」(1)、「アワビ」(1)、「アジとムロアジ」(1)、「ブリ」(1)、「フグ」(1)、「コブ・コンブ」(1)、「カツオ」(1)、「ウナギ」(2)、「イワシ」(2)、「サバ」(2)、「おスシ」(2)、「ハマグリとアサリ」(2)、「シジミ」(2)、「フナ」(3)、「鮹とタコ焼き」(3)、「カニ」(3)、「タイ」(3)、「カキ」(3)、「バイとサザイ」(3)、「ワカメ」(3)、「ウニ・ナマコ・ホヤ」(3)、「クジラ」(3)が載っています(カッコの数字は掲載巻。「1」は、タイトル「食の体験文化史」に「1」と載っていませんが、2,3があるのでとりあえず「1」としました)。森先生、54の全エッセイのなかで、約半分を魚貝等水産品にあてていますから、ほんとうにお魚がお好きなんですね。
小文だが、考古学の論争の渦中にある魚のことなどがいっぱい出てきます。
3冊を読むと、日本の日本古代史や、食文化史上でオサカナが占める位置付けがわかっちゃうというすごい本です。名著です。
大学者の本の題名を間違えて載せてしまったお詫びかたがた、本の紹介をしました。
まだお読みでない方でご関心のある方は、ご一読をしてみたらいかがでしょう。
宇都宮市場の佐藤 2004.10.19 当地では、サメは普通にお店に並んでいます。
スーパーの特売チラシにもよく載ります。
サメ丸ごと一本の入荷もありますが、最近は正肉が多くなりました。
切身になって売られているのはモウカザメ(ネズミザメ)です。
産地は気仙沼。フライでも煮付でもおいしいです。
棒状のムキサメ(アブラツノザメ)は年末には欠かせません。
(いまも)高級品で、原料が足りないためカナダ産もあります。
これも煮魚用で、正月料理になります。
20年位前までは、塩モーカといった塩蔵のサメ肉が入荷しましたが、これはすっかり姿を消しました。
あまり珍しい事ではないと思っていましたが、みなさんのお話を読むと、全国的にはマイナーな食べ物なんですね。
白浪@舞鶴 2004.10.19 ケッコウ各地にサメを食べる習慣があったんですね。
アカエイは、いまでも関西ではケッコウ食べるので、魚屋に並びます。
で、サメですが、私の若い頃は中国地方の山間部では祭りに欠かせない料理で、島根県ではサメ漁が盛んに行われていました。
新鮮なのを刺身にしてたと思います。
いまでは、一隻だけのようです。詳しくは
 http://fish.miracle.ne.jp/jf-iso/newpage3.htm

いまでも広島の県北、三次市のあたりでは食べるようですね。
でも、明治の後半に定着した食習慣のようです。
江戸時代には、京・大坂の料理屋でお大尽が食べるものだったのだそうで、決して下魚ではありませぬ。
白浪@舞鶴 2004.10.19 ちょっとサメとエイの弁護を

> サメとかエイとか軟骨魚類は尿素の排泄がよくないので
> アンモニアが発生して、1ヶ月くらいもつ、とか言う話です。

サメ・エイなどの軟骨魚類と硬骨魚類は、浸透圧調節の仕組みが違うのです。

海産魚は、海水の浸透圧が体液の浸透圧の3倍くらいあるので、鰓からどんどん水分が出て行き、替わりに塩が入ってきます。
そこで硬骨魚はがぶがぶ海水を飲み余分な塩を鰓の表面にある特殊な細胞から排泄して、体液の浸透圧を保っています。
これに対して軟骨魚類は、尿素を高濃度に体液に溶け込ませることで体液の浸透圧を高くして浸透圧調節をしています。このために腎臓で尿素を再吸収する仕組みを備えています。
尿素はアンモニアに比べてかなり無害なので、こういう芸当ができるという次第。
白浪@舞鶴 2004.10.19 返事を書きかけて別の仕事をしてたもんで、manaさんと佐藤さんのメールを読まずに頓珍漢なメールを出してしまいましたm(_ _)m
ほんとうにあちこちで食べるんですねぇ。
そう言えばアブラツノザメ漁は、いまでも盛んに行われてましたね。
三陸のサメ漁も、フカヒレだけではなかったんですね。
アメリカでは、フカヒレだけをとる残酷な漁業として環境保護団体なんかから叩かれていますが、さすが日本人(^O^)
実験所の本棚を見ると「サメを食った話」ってそのものズバリの本がありました。
それに三重の志摩地方で作るサメなますの作り方が...
大釜に湯を沸かして、生きてるネコサメをザブン。2,3分で引き上げてアワビの貝殻で皮をむき、三枚に下ろして細切りにし、さっと煮え湯をくぐらせて氷水でしめる...で、メチャクチャうまいんだそうです。
志摩地方では、宴席にこれがあるか無いかで席の値打ちが違うとかで、祝いの日にあわせていけすで飼っておいたり、沖へ船を出して釣ってもらうのだそうです。
MAYS 2004.10.19 >海産魚は海水の浸透圧が体液の浸透圧の3倍くらいあるので,
>鰓からどんどん水分が出て行き,替わりに塩が入ってきます.
>そこで硬骨魚はがぶがぶ海水を飲み余分な塩を鰓の表面にある
>特殊な細胞から排泄して体液の浸透圧を保っています.
>
>これに対して軟骨魚類は尿素を高濃度に体液に溶け込ませるこ
>とで体液の浸透圧を高くして浸透圧調節をしています.このた
>めに腎臓で尿素を再吸収する仕組みを備えています.尿素はア
>ンモニアに比べてかなり無害なのでこういう芸当ができるという次第.

そういうことだったんですね。よく分かりました。
ただ、新たな疑問がわいてきました。
まず、硬骨魚類、軟骨魚類それぞれの血漿浸透圧はどの位なのでしょうか。
硬骨魚類は人間と同じ300mOsmくらいかな、と、勝手に思っていたのですが。
第二に、もし血漿浸透圧が高いのであれば、細胞質の浸透圧はどの程度なのでしょうか。これらが異なっているのであれば、何か特別なポンプでもあるのでしょうか。
MAYS@自己レス 2004.10.19 >サメとかエイとか軟骨魚類は尿素の排泄がよくないので
>アンモニアが発生して、1ヶ月くらいもつ、とか言う話ですが、
>と、いうことは、昔内陸地方ではあのようなものを食べて
>いたのでしょうか。あれは私のイメージでは刺身ではないのですが…

この件で皆さんに誤解を与えてしまっていたようです。
「あのようなもの」とは、別にサメやエイを指してるわけではなく、言いたかったのは、「ホンオフェのような状態のものを日本の昔の人は食べていたのでしょうか」と言うことです。
誤解を与えて済みませんでした。
MANA 2004.10.19 「ホンオフェのような状態」は、確か発酵の度合いですよね。
どこにでも、発酵によるにおいの強烈な食べ物はあるのですね。
ぼくはまだ食べていないけれど、韓国にいったら、ぜひ挑戦したい食べ物ですよね。
確か人から聞いたところでは、鮮度の良いガンギエイを発酵させないで刺し身で食べる方法もあるそうですね。両方食べたい。
ぼく、来月、関東にわずかに残る栃木の鮎の腐れずしの取材に行くんですけど、今から楽しみなんです。
鬼怒川沿いの上河内地区は、昔は、ドジョウやカジカや、おそらくチチブのような雑魚のくされずしがあったそうです。
今は、作られていない、真っ黒にグジャグジャになった雑魚のなれずしのことを調べにいくのです。もうほとんど作った経験のあるひとがいないらしく、お姑さんから聞いた話しか聞けないかもしれないけれど、それはそれで、必要です。
ホンオフェから脱線でした。くさいのもまた食の1つのあり方なのです。
くささを追求すると、これは際限がないということを発酵食の研究者から聞いたことがありますから、きっと奥ががふかーいのでしょう。
白浪@舞鶴 2004.10.19 数年前まで浸透圧屋がいる研究室にいたもので、聞きかじりの知識(汗)ですが...
σ(^ ^;自身は、もともと物理屋なもんで。

> まず、硬骨魚類、軟骨魚類それぞれの血漿浸透圧は
> どの位なのでしょうか。硬骨魚類人間と同じ300mOsmくらい

硬骨魚類は人間と同様に300mOsmくらいですが、軟骨魚類は海水(1000mOsm)より少し高いくらいです。
ですが、浸透圧の半分は尿素によってるので、塩類による寄与分は500mOsmくらい。

> 第二に、もし血漿浸透圧が高いのであれば
> 細胞質の浸透圧はどの程度なのでしょうか。

細胞質の浸透圧は知らないのですが、確か、尿素は細胞膜を通らないので、軟骨魚類の細胞質浸透圧はそんなに大きな値ではないはず...
白浪@舞鶴 2004.10.19 > 鬼怒川沿いの上河内地区は、昔は、ドジョウやカジカや、おそらくチチブのような雑
> 魚のくされずしがあったそうです。今は、作られていない、真っ黒にグジャグジャに
> なった雑魚のなれずしのことを調べにいくのです。

これも強烈そうですね
ところでサメ料理専門店の紹介を発見、、、なんかやたら美味しそうです。
 http://www1.odn.ne.jp/shark/new_page_43.htm
アルゼンチン 藤田 2004.10.20 浸透圧やら、血漿濃度とか 何だか昔、魚類学で学んだような・・・
これは生物の進化発達過程に関係している・・てな授業だったような。

>ところでサメ料理専門店の紹介を発見、、、なんかやたら美味しそうです。
>http://www1.odn.ne.jp/shark/new_page_43.htm

そうは、見えません。僕はサメカツカレーで勘弁してください。 
他のものはパスします。
何だかやはり、魚、特に鮮魚に恵まれない特殊なところにのこった特殊な食文化と感じます。(偏見かな) 美味しい山鯨屋さんがあるような場所ですね。
白浪@舞鶴 2004.10.21 > これは生物の進化発達過程に関係している・・てな授業だったような。
ですね.σ(^ ^;の居た研究室の浸透圧屋さんがやってたのは、もっと原始的な開放血管系の貝類。
体液の浸透圧が周囲の海水浸透圧に連動して変化するんで、細胞レベルでの浸透圧調節をやらないと生きていけないって奴ら...Na-Kポンプがどうとか、トランスポーターやらmDNAがどうとかって...よくわからん話を、さも分かったように聞いて暮らしておりました。

> 何だかやはり、魚、特に鮮魚に恵まれない
> 特殊なところにのこった特殊な食文化と感じます。

明治になってから根付いたところが多いようなので、多分そうなんでしょうね

> 美味しい山鯨屋さんがあるような場所ですね。
猪も多いかも知れませんが、中国山地と云えば熊では(^O^)
MANA 2004.10.21 > 何だかやはり、魚、特に鮮魚に恵まれない
> 特殊なところにのこった特殊な食文化と感じます。

について、お話されています。

(1)たしかにそうなんだろうなあ、みんなそう考えているのだろうなあと思うのですけれど、小生は、ふだんからそのようには、考えていない(ようにしているのかな?)ので、小生が考えている食のとらえかたをちょっと書くことにします。
(2)結論から先に言ってしまいますと、仮に1箇所にだけ現在残った食文化の“痕跡”のようなレア―な食の習慣であっても、「特殊」という考え方をしません。それはいろいろなファクターの環境の変化があってそうなったのに過ぎないので、全部が全部そうではありませんが、非常に地域的で限定的な食のスタイルが、何かの拍子に一般に浸透していく、そういう可能性を常にもっている、という、そういう“とらえ方”をしています。
(3)最近、とくにいろいろなところでも使われている「多様性」という言葉がありますが、多様なスタイルの1つが、たまたま限定的に残っている、そんな感じでしょうか。
(4)若狭や丹後から、琵琶湖の岸辺や福井と京都の県境の山の中の峠道をとおってサバ街道が走ったり、関東の各地でも、鮮魚街道や塩街道が内陸(あるいは現代に近いところでは消費地であるマチ)に向って走っていますが、よく、メーンのルートを数本書き示すガイドブックがありますが、A地域からB地域にものが運ばれるときには、実は、網の目のようにたくさんのいろいろなルートがあったのだとおもいます。
(5)古代、あるいはずっとそれ以前からも、中世になっても近世になっても、そうしたモノを運ぶ道を、人間の背と足や馬や荷車を運搬手段として確保してきました。サメの食文化もこうした、人が人力や馬力をつかって、ガソリン力や電力よりはより大量に運ぶという輸送のパワーは劣るけれども、今よりも多様な「ミチ」を確保できていた時代は、有力なタンパク食の1つであったとぼくは感じています。
(6)だからこそ、このサメやエイや塩サバが、なぜ内陸に住む人々に重宝がられたのかに昔から関心がありました。そうした、理由のひとつに、とてもわかりやすく説明をしていただいた“尿素”や“発酵”という、食品の持つ個性と二次的におこった物性の変化がどう関わってくるのか、この当たりを考えるのがとてもおもしろいのだとおもっております。
また、化学や物理の実験室レベルで、こうした社会科学的なファクターと自然科学のジャンルでの解析・測定でわかるファクターとの関わりが何かわかれば素敵だなあ、とそんなふうにも考えています。
(7)それから、よく山間部の小さなムラのことを「へき地」とか「かんそん」とかいう使い方をしますが、現在は、確かにお年寄りが数十人へばりついて生きているような場所にみえるから、そんなとらえ方をしますが、数十年前には、あるいは数百年前には、そのムラは今と同じように住人は少なかったかもしれないけれど、ものすごく豊かで隠し資産をたっぷりと蓄えていた地区であったかもしれないのですね。
(8)見かけは貧乏ムラでも、けっこう蓄財はあったなんていうのは、最近少しずつですが、これまで見過ごしてきた側面に目を向けるようになってきてわかるようになってきた。だから昔のムラの人の暮らしは“貧しかった”と決めつける考え方ではなく、もっとフレキシブルに見なけりゃいけないと自省したりしてもおります。
(9)だからこそ、管理人さんが教えてくれた「変わる家族 変わる食卓」の本(すぐアマゾンドットコムで取り寄せました)で、調査した“食ドライブ”の調査と解析の手法は、すごいなあ、と、この本の“個食”の食スタイルの現実の衝撃も大きかったけれど、前提となる理論は最新だけど、やることは手作りという手法の斬新さに強い共感をもちました。
食の現場で起こっていることを通して、個のありかた、家族のあり方、地域のこと、社会のこと、“多様”と“好き勝手”と“個の確立”と“自己の崩壊”、“豊かさ”と同時並行して進む“貧困”(経済的にも心の面でも)など、この本読んでいろいろ考えちゃいました。
(10)いやあ良い本紹介してくれました。久しぶりにアンダーライン引いて「なんちゅう社会になったんだ」とか、ぶつぶついいながらも熟読いたしました。
(11)でも、今、考えております、「ここまで社会・経済・個が否応なく変化してしまった時代に、漁業のことをどうとらえて考えていったらよいのだろうか、云々……。漁村=ギョソンってよびかたのかわりに、“里海”ということばをつかってみたらどうだろうか、云々……。そのときに“SATO-NO-UMI”は、これまで考えてきた漁村の定義と、どこをどうかえたらよいのだろうか、云々……」に、ものすごおく関係してくることであったので書いちゃいました。
(12)不肖小生が、1996年に使い始めた「海の『守り人』」などという漁村や漁業権とその権利主体の定義の仕方などは、もう悠長すぎるのではないか、もっとわかりやすくって良い説明のしかたがあるんじゃないだろうか、云々……を考えている最中ということも、これありまして、サメ食から個食に至りSATOUMIまで、雑多、乱雑な駄ベンを弄することとなりまして、失礼デシタ。
アルゼンチン 藤田 2004.10.21 マイリマシタ。 
この様に考えると、やはり文化や歴史のあるところに特異な(こう云う断定語はさけて)その地だけの食習慣が形づくられ残って来たのですね。
勉強になりました。
サメカツカレーだけ なんて失礼なことを言ってはいけませんね。 反省!
僕のかっていた三陸の気仙沼では、サメ(鱶鰭を含め)を食べる食習慣は地元に根付いておらず、地元ではやっきになって、学童給食に、鱶鰭スープを取り入れたりしていました。
それに代わり、アザラやらドンコ汁などという、地元ならではの郷土料理がありました。
もちろん楽しませて戴きました。
MANA 2004.10.21 とにかく、すぐ長たらしくもっともらしく書くので、批判めいて受け取られがちなんですが、決してこちらが正しい、というつもりじゃないことをご了解くださいませ。
とにかく、サメは、伊勢の矢野先生の、ものと人間の文化史シリーズの『鮫』のように、むかしからいろいろなジャンルに主役・脇役をはってきておりまして、とっても昔から関心があるのです。
鰄と魚偏に威丈高の威と書いて「かいらぎ」というサメ皮のことなんかもあります。管理人さんが大好きな山登りの世界では、飯豊山の梅花皮(かいらぎ)大雪渓がありまして、このカイラギについても調べ出すと図書館の藻屑と消えてしまいそうなほどいろいろな関わりが出てくるんですね。
15年前にカイラギ大雪渓を夏、すごいスプーンカットのかっちかっちのところを滑り降りたこともありましたっけ。ありゃー楽しい夏スキーだったなあ。
あんときには、カイラギといったって、下りて温泉に入ることしか頭になかった。
てな感じで、常にモウソウしておるだけであります。あんまり関係ないか。





Copyright(C) Oct.31.2004 by Toshio Yabe. Allrights reserved